be able toが過去形肯定文で強くなる理由 英語は主観的か客観的かで使う言葉が変わるもの 002

be able toが過去形肯定文で強くなる理由 英語は主観的か客観的かで使う言葉が変わるもの  002

能力は一般的か一般的でないかで違う

日常英会話では最初に覚えるのはこういった特定の状況下でできたかできないかを述べるもの。

ただ、自転車の練習をしていて乗れると、「乗れた!」と言いたいが、それはcanを使う。

過去形だからbe able toじゃないかと思ってしまうが、これは能力の話で、特定の状況下とは違うものになる。

そこで、特定の状況下とはまったく違う使い方の能力についても紹介したい。

日本語の「できる」という言葉には、「能力的に可能」という意味と、「状況的に可能」という二つの意味がある。

「能力的」とは、機能や体質が伴い、練習、訓練、才能なども絡んでくる。

「状況的」は、特定の状況下で可能か可能じゃないかを述べていて、外的要因(運やタイミング)が重要になってくる。

さて、能力が使われる場面はこんな感じだ。

I can swim very well.

I can ride a motorcycle very well.

Can you eat soba?  なにかアレルギー持ってるようだけど、ソバは食べられる(と思う)? 

She can walk?  (赤ちゃんの)彼女は歩ける?

能力の現在形ではbe able toはほとんど使われないが、一般的な能力じゃない場合は使える。

「足を頭の後ろまで持っていけるよ」

といったものだ。

どうして一般的な能力はcanなのかということについて、語られることはまずない。

そこで、mothertongue.jpの勝手な解釈としては、一般的な能力には差があるということ。

自転車に乗れるといっても、その技術の差は広い。

なので、「乗れる」というのは主観的で、その人の意見になる。

一方で、絶対的に凄い能力は客観的な意見となるので、be able toになる。

過去の一般的な能力(体が身につけている能力)はcouldを使う。 

主観的な過去

I could swim very well when I was a kid.

「俺覚えてるけど、子どものころは凄い泳ぎ上手かったよ」

この場合は習慣のwouldに近く、ある一定期間、能力があったという話になる。

習慣ではない、客観的な過去の能力

I was able to run 50 meters in 6 seconds in the event.

「その大会で、50メートルを6秒で走ることができた」

特定の状況下の現在形ではなぜCanが多いのか?

「現在形ではbe able toはあまり使わない」という一部ネイティブの意見があるが、こういう場合の意見は、能力と特定を分けずに考えられている。

能力は一般的か一般的でないかでcanとbe able toが分かれたので、結果的にcanが多くなる。

一方、特定では外的要因が大きくなり、これからのことは予想がつきにくいので、どうしても意思と主観のCanが多用される。

たとえば、人の行動は予想がつかないので、「○○君、12時にラーメン作れる?」「はい作れます」は依頼的なcanになる。

つまり、特定の現在形のcanは、「外的要因があっても作ろうとする意思」なので、気持ち的に、気分的に、「できる?」というモチベーション型もしくは依頼型の「できる」となる。

be able toを現在形で使うときは客観的に「できるかできないか」で、特定は外的要因が多いので、

「2メートルの高さなら、彼は背が高いから飛べる」というときにbe able to。

「2メートルの高さだけで、彼は飛べるよ!」と期待を込めて言いたいときはcan。 ※あくまでサイトの見解

疑問系で、「5分後のバスだけど、状況的に乗れるかな?」

と分析しているときは、Am I able to~。計算して乗れるかどうか、事実をはっきりさせたいニュアンスを吹き込める。意思は関係ない。

それが、「5分後のバスだけど、頑張れば乗れるかな?」となると、厳しい外的要因の中での意思の問題なので、モチベーション型canになる。

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