リハビリと言語習得は同じ

英会話をしようとして、もしくは独り言をして、次々と言葉が出てこないことはありませんか。
それには、確実な、理由があります。
英語になる前の、言いたいこと。
それをしっかり用意することを確実にやればいいのです。
「こういう言い方でいってみよう」とか、
日本語で考えて英訳して、ということをやっていると、連続で言葉が出てくることはないと思います。一回やって、終わり。という感じです。
まず「言いたいこと」を用意して、その都度、感情ごと言葉に変換して言うのです。
用意された「言いたいこと」は、言葉になる前の欲求や感情のようなもの。
それを毎回変換するときは、もう「どう言うか」を考えません。
ボールを取るときに、「取ろう」と思うだけで筋肉が勝手に動くように、「言いたい」「説明したい」という気持ちで勝手に言葉が出てくるようにするわけです。
こういうことはネイティブの講師も絶対に言わないので、この話はなんのことやらと思うかもしれませんが、何度もやるとできるようになる体育と同じようなものなのです。
怪我したあとのリハビリもまったく同じ。少しずつ腕を動かすことで、脳が筋肉の動き方を覚え、次から動かせるようになるやつです。
それはすべて、脳の錯覚の機能を使っていて、だから私たちは狙ったところにボールを投げられるわけです。
筋肉の動きを一つひとつ指令していないにもかかわらず。
言語も同じで、使うときは文法のことを考えません。
この、「考えない」が、学習者には難しい。
このリハビリのような言語の覚え方は、親のような存在が必要です。
聞き、試す。
それを繰り返して使っていく。
ゲームであれば、押して、動かして、「Aボタンを押すとジャンプか」とわかっていく感じです。
学習者はその機会が少ないわけです。
英会話といえば「間違ってはいけない」から始まるわけで、試しながら話す機会がありません。
「耳で聞いて、そのまま使って試す」というプロセスがないので、どうしても「説明書」を読み込んでしまうのです。
ただ、機会がない以上、説明書を読むほうが近道だというのも確かです。
いわゆる「文法」ですが、使い方によってはいいわけです。
もしそのゲームの大技を出すのが複雑なコマンドだとして、頭で覚えようとしても大変だと思います。
まずはプレイしてみないと、なかなか習得できません。
なので、文法はほどほどに、試して使っていきたいということです。
「通じるかどうか試す」
ことで、成功したときに脳が「言いたいこと」と「文法」を錯覚で結びつけます。
英会話の機会がない場合はどうするのか。
実は、英語を聴いているときは、「自分が話すように聴く」のが正解です。
これがうまくできていると、独り言でも試せるわけです。
それが英語の音でも、自分の感情のようなものが乗って、言葉が出てくれば、もう錯覚は始まっています。
他にジェスチャーを使った方法などもあるので、また改めて紹介します。