英語を勉強するほど聴き取れなくなる現象 001
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iPadをいつまでも使いこなせない年配の人がいて、同時に、すぐに使いこなす幼児がいます。この差はなんでしょう?
年配の人は、「このボタンおしていいの?」「これはどうやってやればいいの?」と、すぐに確認を取ってきます。
これは、しっかり取り扱い説明書を読んで、やり方をわかった上で使いたいということです。
知らずにボタンをタップするのが怖いのです。
一方、幼児は恐れ知らず。
すぐにさわります。
さわって、動きを知り、またさわります。
その繰り返しで覚えていきます。
小学校でアメリカに留学した日本人の子供は、そういった環境に置かれます。文法の勉強をしていないのに、いきなり実践の場に放り出され、少しずつ使いながら、「あ、通じた」という成功体験を得て、使うようになります。
もし、英語の文法の勉強をして、一度も使っていないのなら、取り扱い説明書を読んで、「間違いをしたくない」という状況です。
かといって、日本人には「英語で自分を試せる」という環境はほとんどありません。英会話学校は結局勉強の場なので、ちょっと違うのです。
その対策はあります。
日本人が苦手な音のひとつに、鼻音があると思います。
特に、NとMで行われるものです。
日本人の「ん」で書かれた発音には数種類あり、私たちはそれを意識することなく使い分けています。
看板の「かん」部分の「ん」は何なのかとか、新聞の「しん」部分の「ん」は何なのかとかを意識しないのです。
一方、英語や韓国語にはNやMに対して違いをはっきりさせています。
日本人にとってMは「まみむめも」でしかなく、日本語の「ん」であるという意識がないので、Mの発音時に唇で出す音だけになってしまったりします。
たしかに、英語の「マット」とか、「ミリオン」といった言葉に使われるMは日本語の「まみむめも」と同類です。
ですが、
embassy
とか、
impression
といったMは、日本語の「ん」に当たるMです。
Couldは習得したもの、たとえば「水泳ができる」「かつては~が可能だった」の「できる」と、過去のことについて「できた(けどしなかった)」という意味、これから未来に「できるだろう」という意味があるとお伝えしました。
さらに、実際に「できた」ときには使わないというミステリーも。
言葉にすると本当にややこしいcouldですが、これからの「できるだろう」も、過去の「できた」も、たくさん使います。整理しましょう。
過去の「できた」は、日本語で考えるとよく使うのがわかると思います。
「昨日、カフェに行かなかったの?」
「行けたんだけどね」
とか、
「チケットの申込しなかったの?」
「しなかった。できたんだけどね」
というパターンです。
日本語だと「できた」の訳になります。
ちょっと前にチケットを実際にとれたら、日本語では「できた」ですが、このパターンでcanの過去形であるcouldは使えず、過去にできたけどしなかった「できた」はcouldで使えるというわけです。ややこしいです。
さらに考えると、じゃあ学校で習った「できただろうに」はどうなるのかと。
これです。
I could’ve done it.
実際にはしなかったという意味で、「もし来てくれてたら、それができてたのに」というイメージです。仮定法です。
このcould’veと、さきほどの「できただろう」のcouldに違いはあるのかというのが気になってくるはずです。
ニュアンスとしては非常に似ています。どちらも「できただろう」です。
違いがあるとすれば、「もし来てくれてたら」という条件が入っているのがcould’veです。
実際には来てくれなかったんだけども、もし来てくれていたら、できただろうに・・・。
even though
は「なのに」の訳がぴったりですが、これもいちいち「なのに」を当てると時間がかかります。
でも、これを母国語のニュアンスで理解して使うのは少し高度です。
though
は単体で「だけども」「けども」で使われるもの。
「けど」の意味は、
「食べたけど、美味しくなかった」
という場合、「美味しくないにもかかわらず、食べた」という意味と同じです。
even though
は、「美味しくないにもかかわらず」の場所で使われます。
though
は、「食べたけどね」のときに
I ate, though.
と最後に付け加えて使います。
このへんの関係性は、日本人でもうまく説明できないと思います。
「美味しくなかったら、普通食べないのに、食べた」というのが、
「美味しくないのに、食べた」となっていて、普通じゃない行動をしていることになります。
普通じゃない行動とはどんなことでしょうか?
「寒いのに、外に出た」
「苦しいのに、寝なかった」
「嬉しいのに、言わなかった」
こうゆう感じですね。
その理由部分にeven thoughは使われます。
「けど」の意味は「のに」と若干違いますよね。
「寒かったんだよね。結局、外に出たけどね」
と、後半の行動の部分に使いたくなります。
I went out, though.
ということで、結果として何をしたかという部分に加えるのが、「けど」のthough.
「普通しないのに、した」の「した」の部分。
even thoughは理由部分。
ここをはっきりさせましょう。
難しいのは、evenに込めるイメージです。
even
は「さえ」という意味がありますが、「さえ」とは何でしょう?
no matter how は、日本人としては「~だとしても」と覚えます。 No matt …
能力において、Canは「備わったもの」で、Be able toは「一時的なもの」と説明するもの(サイト)もあります。これも、それぞれの部分的なものを使って分けているだけです。
「備わったもの」は「自転車」や「水泳」「読み書き」で、一度習得すると「できる」になり、その程度は関係なく、「できる」ことになるものです。
一般的で、多くの人が習得してるものでもあります。能力ということもできます。一時的なものではありません。
「そこにあるスプーンとってくれる?」という意味での「とれる?」は、習得したものについて聞いているのではなく、一時的に、意思として、できますか?
という感じです。
なので、これは能力ではなく、「依頼」とします。「一時的なもの」です。Canですが、「一時的なもの」
です。
ではなぜあるサイトではbe able toを「一時的」と説明しているのかというと、たとえば「このバスに乗ったら3時までに空港に着くことは可能かな」というのも「一時的」で、be able toだからです。
能力ではなく、客観的事実に基づいた可能か不可能かという話です。
また、習得した能力のように、「いつでもどこでもできますよ」がcanで、1回だけできたか、できるか。という能力プラス努力パターンがbe able toになるので、それが「一時的」でもあります。
まとめると、
Be able toの「このバスを使うと30分後にここまで来れる?」は、それが「可能かどうか」の答えを求めています。状況的なもので能力は関係ありません。
そして、たしかに「一時的なもの」です。これを可能とします。
これがCan you? になると、「頑張って30分後に来てくれ」という意味になり、答えは「やります!」というのを求めています。これが依頼です。「一時的なもの」です。
どちらも「一時的なもの」で「能力」ではない、可能と依頼です。
canとbe able toは、どちらも「能力」ではない、「一時的なもの」を持っているということになります。
そしてどちらも「能力」を持っています。「一時的なもの」ではない、「備わったもの」のcanと、「ドラムを叩ける」のbe able to です。
ということで、「備わったもの」と「一時的なもの」で分けるのは、部分的にピックアップして比較しているだけです。
「能力(備わったもの)」と「一時的なもの」で分けるような解説があったら、間違っていると考えていいです。
英語の基本は、訳ではなく、順番に読んで理解することです。
いつも常に、今の言葉から次の言葉の関係性だけを感じましょう。
今回は
BONE
です。
Your bones are the hard parts inside your body which together form your skeleton.
と辞書には出ています。
コツは、両隣の関係性を見るタイミングで、疑問はないということです。
たとえば、
Your bones
だけを見るとき、
日本語であれば 「あなたの 骨」となりますが、英語でも同じで、その時点での疑問はありません。
ただ、この場合のYouは本当の意味で「あなた」ではなく、「人の」という意味です。
次に、
bones are
ですが、
ここにおいても、「骨 だ」という意味であり、完結しています。
次は
are the hard で、「だ 固い」
the hard parts は「固い部分」
parts inside 「部分 中の」
inside your body 「中の 体の」
という感じです。
難しいのはWhichの扱いですが、はカンマがないので、「○○する骨の部分」という感じで、後ろからの修飾です。
この時点でまず、
「人の骨だ 固い部分 体の中の」
と読んでいます。
Which togetherは、「それらが一緒になって」という意味です。
form your skeleton. 「形作る 骨格を」
で終わりです。
日本語に訳したくなりますが、本来必要ないので省きます。
「人の骨だ 固い部分 体の中の」「それらが一緒になって」「形作る 骨格を」
この順序で、ただ理解して終了です。日本語の詩みたいなものだと思えばいいです。
もう一度読んでみましょう。
Your bones
are
the hard parts
inside your body
which together
form your skeleton.
現在完了は日本語から英語にして使うのが難しいものです。
そもそも、言語はすべてイメージ化して使うべきですが、ここでは現在完了をイメージにする方法を紹介します。
話すときに、「過去形を持っている」というイメージを使います。
実際にhave 過去分詞となっていますから、「過去分詞をhaveしている」ということになります。
それでまず、
have
と言ったときに、円のようなものを頭に用意します。
上が過去で、下が現在です。
それは、今を含む時制で、まず、経験のときは、自分の人生になります。
あとは、確定していないぼやっとした、今を含む時間です。
その円に、過去完了の動詞が入ります。
これが、「持っている」というイメージになります。
それぞれ用法によって使い方が違います。
経験「したことがある」のときは、適当にその人生の円に言葉を入れます。
それだけです。
完了の未完了時制「もうやった」「今日3回コーヒーを飲んだ」は円が今日だったり、ここ1年だったりします。それをイメージします。
「もうやった」というイメージなら、適当に動詞を入れます。
「3回やった」なら、3回動詞を入れます。
I have already eaten breakfast. (午前中のみ)
I have already eaten lunch.(夕食より前)
ニュースで読まれるような完了は、円が今日という意味になります。
そこに適当に入れるイメージです。