「アメリカのoはアと読む」を受け入れる 003
ɔも特徴的です。オの口でアを言うというものです。 たとえばboss はバースになります。 …
娘の母音の話にあるように、日本人にとってカタカナ英語が もたらした弊害は大きいです。
そしてそもそも、標準語には母音を強調する特徴がまったくないので、英語や世界の言葉のような母音を強調する話し方や聞き方が苦手なのです。
子音も大事で、間違えている人が多いけれども、ある程度の練習をすればコツが掴めるし、リスニングも問題ありません。
何度教えてもできないのは母音であって、リスニングも母音を中心に聞かないから難しくなるのです。
自分の経験上、「母音を大事にせよ」と言うネイティブも少ないように感じます。日本人にとっては苦手分野だし、ネイティブにとっては当たり前すぎて、その問題点に気づけません。
だからこそ、母音を極めるのは英語を極めるのと同じ。特にアメリカ英語の母音習得は難しいです。
たとえば日本語では「あいうえお」があり、英語にはもっと多くの母音があるけれど、方向性は同じ。それぞれの音に、アの方向性があるか、オの方向性があるかと振り分けると、最後は「あいうえお」になります。
たとえばRは母音として考えると方向性は「あ」になります。
Uのスペルは多くの場合、「あ」の方向性を持ちます。
lotはアメリカ英語ではɑ:で、方向性はア。イギリスではɒになって、口をすぼめてオの方向性を持ちます。
caughtやtalkも同様です。
では、oのスペルについて考えてみます。
oはローマ字読みでオーですから、日本語の「だから」は「dakara」になります。
アメリカでは、「dokara」と書くことで「だから」と読めると前回お伝えしました。
他に例として、
hot
計算という意味のカリキュレイト。
英英辞書にはこうのっています。
If you calculate a number or amount, you work it out by doing some arithmetic.
日本語に訳すと、「もし数字や量を計算するときは、いくつかの算術を使うことで答えを出します」となります。
上から読んでいきましょう。
まず、
If
この時点で、ifにはいくつかの考え方があるので、答えはでません。
なので、
If you calculate
まで読んで理解します。
現在形なので、仮定の話ではなく、「〜するときは」「すれば」という解釈になります。
この場合は、whenの意味に似た「計算するときは」と解釈します。
そう理解した上で、目的語を受け取ります。
a number or amount(数字や量)
そして、カンマです。
これがあるということは、通常の順序から倒置されているという意味です。
You work it out by doing some arithmetic if you calculate a number or amount.
こちらのほうが英語的ですが、倒置されているほうが日本語と似た順序になります。倒置されることで、if以下が多少強調されています。
次に
生徒との会話の中で、どうしても文章の意味を意訳して伝えてしまうときもありますが、基本的には意訳をせずに理解する方法を採っています。
no matter howについて説明した通り、日本語に意訳したものを使うと、実践で使えません。
あくまで、言葉のイメージ通りに発信し、受け取り、使うのがセオリーです。
世の中には、「これはつまりこういう意味です」と文章の意訳を伝える動画や本が溢れていますが、これは本人が実際に使う能力を削ぐことになります。
私個人、若いころに映画の訳があまりに意訳だらけなことに気づいて、怒りを覚えることもありました。
「馬鹿にしている」と感じることもありました。
言葉の意味そのままに受け取っていれば、映画のセリフの絶妙な言い回しや展開を味わえるのに、意訳が台無しにするのです。意訳する側からすれば、「読む時間がないから短くするのが技術」と言いますが、それは本当の訳ができていないことに対する逃げの技術でしかありません。
Nのもうひとつの音は、/ŋ/です。
スペルで、最後にgやkが来るときには、舌先の意識を弱めて、舌の奥をびったびたに上顎につけて音を出します。
鼻から抜けるのは一緒です。
アメリカ英語ではこの音が強力なので、gは飲み込まれて発音しません。
kやdの場合はします。
Gは飲み込まれても時間は取ります。
ブリングはブリンという感じになります。gを言おうとする必要はあり、結果的に飲み込まれて空白になっているだけです。
/ŋ/
Lying
King
Bring
Ring
Sting
Swing
thing
Wing
among
bang
belong it
gang
hang
long
Couldは習得したもの、たとえば「水泳ができる」「かつては~が可能だった」の「できる」と、過去のことについて「できた(けどしなかった)」という意味、これから未来に「できるだろう」という意味があるとお伝えしました。
さらに、実際に「できた」ときには使わないというミステリーも。
言葉にすると本当にややこしいcouldですが、これからの「できるだろう」も、過去の「できた」も、たくさん使います。整理しましょう。
過去の「できた」は、日本語で考えるとよく使うのがわかると思います。
「昨日、カフェに行かなかったの?」
「行けたんだけどね」
とか、
「チケットの申込しなかったの?」
「しなかった。できたんだけどね」
というパターンです。
日本語だと「できた」の訳になります。
ちょっと前にチケットを実際にとれたら、日本語では「できた」ですが、このパターンでcanの過去形であるcouldは使えず、過去にできたけどしなかった「できた」はcouldで使えるというわけです。ややこしいです。
さらに考えると、じゃあ学校で習った「できただろうに」はどうなるのかと。
これです。
I could’ve done it.
実際にはしなかったという意味で、「もし来てくれてたら、それができてたのに」というイメージです。仮定法です。
このcould’veと、さきほどの「できただろう」のcouldに違いはあるのかというのが気になってくるはずです。
ニュアンスとしては非常に似ています。どちらも「できただろう」です。
違いがあるとすれば、「もし来てくれてたら」という条件が入っているのがcould’veです。
実際には来てくれなかったんだけども、もし来てくれていたら、できただろうに・・・。
even though
は「なのに」の訳がぴったりですが、これもいちいち「なのに」を当てると時間がかかります。
でも、これを母国語のニュアンスで理解して使うのは少し高度です。
though
は単体で「だけども」「けども」で使われるもの。
「けど」の意味は、
「食べたけど、美味しくなかった」
という場合、「美味しくないにもかかわらず、食べた」という意味と同じです。
even though
は、「美味しくないにもかかわらず」の場所で使われます。
though
は、「食べたけどね」のときに
I ate, though.
と最後に付け加えて使います。
このへんの関係性は、日本人でもうまく説明できないと思います。
「美味しくなかったら、普通食べないのに、食べた」というのが、
「美味しくないのに、食べた」となっていて、普通じゃない行動をしていることになります。
普通じゃない行動とはどんなことでしょうか?
「寒いのに、外に出た」
「苦しいのに、寝なかった」
「嬉しいのに、言わなかった」
こうゆう感じですね。
その理由部分にeven thoughは使われます。
「けど」の意味は「のに」と若干違いますよね。
「寒かったんだよね。結局、外に出たけどね」
と、後半の行動の部分に使いたくなります。
I went out, though.
ということで、結果として何をしたかという部分に加えるのが、「けど」のthough.
「普通しないのに、した」の「した」の部分。
even thoughは理由部分。
ここをはっきりさせましょう。
難しいのは、evenに込めるイメージです。
even
は「さえ」という意味がありますが、「さえ」とは何でしょう?
no matter how は、日本人としては「~だとしても」と覚えます。 No matt …
能力において、Canは「備わったもの」で、Be able toは「一時的なもの」と説明するもの(サイト)もあります。これも、それぞれの部分的なものを使って分けているだけです。
「備わったもの」は「自転車」や「水泳」「読み書き」で、一度習得すると「できる」になり、その程度は関係なく、「できる」ことになるものです。
一般的で、多くの人が習得してるものでもあります。能力ということもできます。一時的なものではありません。
「そこにあるスプーンとってくれる?」という意味での「とれる?」は、習得したものについて聞いているのではなく、一時的に、意思として、できますか?
という感じです。
なので、これは能力ではなく、「依頼」とします。「一時的なもの」です。Canですが、「一時的なもの」
です。
ではなぜあるサイトではbe able toを「一時的」と説明しているのかというと、たとえば「このバスに乗ったら3時までに空港に着くことは可能かな」というのも「一時的」で、be able toだからです。
能力ではなく、客観的事実に基づいた可能か不可能かという話です。
また、習得した能力のように、「いつでもどこでもできますよ」がcanで、1回だけできたか、できるか。という能力プラス努力パターンがbe able toになるので、それが「一時的」でもあります。
まとめると、
Be able toの「このバスを使うと30分後にここまで来れる?」は、それが「可能かどうか」の答えを求めています。状況的なもので能力は関係ありません。
そして、たしかに「一時的なもの」です。これを可能とします。
これがCan you? になると、「頑張って30分後に来てくれ」という意味になり、答えは「やります!」というのを求めています。これが依頼です。「一時的なもの」です。
どちらも「一時的なもの」で「能力」ではない、可能と依頼です。
canとbe able toは、どちらも「能力」ではない、「一時的なもの」を持っているということになります。
そしてどちらも「能力」を持っています。「一時的なもの」ではない、「備わったもの」のcanと、「ドラムを叩ける」のbe able to です。
ということで、「備わったもの」と「一時的なもの」で分けるのは、部分的にピックアップして比較しているだけです。
「能力(備わったもの)」と「一時的なもの」で分けるような解説があったら、間違っていると考えていいです。