Can be は「あり得る」 could not have been は?
could not have been をうまくつかいこなすために、順を追って説明してみま …
口語での推量のcouldは「かもしれない」と訳してきましたが、本当にそうなのか、もっと精度を上げたいと考えていました。
こういったものはネイティブに聞いても意味がありません。
自分で調べて、「日本語だったら何か」を徹底的に考えるしかありません。
最近、ネトフリでロバートデニーロ主演の『ゼロデイ』が始まりました。
その冒頭で、こんなセリフがありました。
I could have sworn I refilled it yesterday.
例の、仮定法の使い方と混同してしまうやつですが、こちらは推量の過去(記憶推理)です。
いつも餌を外の装置に入れているのですが、それが空っぽになっていました。
swornはswearの過去分詞で、「誓う」で、仮定法なら
「昨日餌を入れたことを誓うこともできた 断言できた」
という意味になり、明らかに違います。
実は口語で
I could swear ~
は決まり文句で、
「〜であると断言する。確かに〜だと言える」
と訳します。結果、「絶対そうだと思ってたんだけど」が正しい訳とされています。
でも、どうしてI could have swornが「絶対そうだと思ってたんだけど」に意訳されるの? ってなりませんか。
推量の訳し方では、
「「昨日餌を入れたと誓ったはずだ(直訳)」「昨日餌を入れたと誓ったかもしれない(直訳)」→「昨日餌を入れたと断言できたはず」→「そう強く思っていたはずなんだけど(意訳)」となります。
面白いのは、話の流れからして、「はずだ」しか当てはまらず、「かもしれない」は合いません。
「そう強く思っていたかもしれない(意訳)」はなんか変。
推量のcouldで「かもしれない」が使えないときがあるのか・・・。
実はこれは、「強い確信だったのに外れた」というcould。「(絶対)入れたと思ったんだけど」となります。細かく言うと、「記憶推理」みたいなイメージ(文法用語ではありません)。
それは今度やるとして、「はず」なのか「かもしれない」なのか、映画のセリフからみてみましょう。
映画『プロメテウス』のセリフを見てみます。
ancient civilizations could have possibly known about it.
これを「はずだ」で訳してみます。
「古代文明はそれをおそらく知っていたはずだ」
ですが、「かもしれない」も合います。possiblyが入ることで、かなり「かもしれない」になります。
Could be metal.
「メタルのはずだ」「メタルかもしれない」
こちらもどちらも大丈夫。でも、オフィシャルは「かも」で、たしかに前後の内容からしっくり来ます。断定ではなく、仮説ということですね。
『ラッキーガール』からは、
He could have canceled.
占星術が悪く出て、「彼はキャンセルしたかもね」というセリフ。
「彼はキャンセルしたはずね」
も面白いです。
And these setbacks could just be opportunities.
「これらの挫折は単なるチャンス〜」
これはどちらも合います。ですが、可能性を提示しているので「かもしれない」
You could be more supportive.
「もっとサポートしてくれてもいいはずよ」
こちらは「はず」オンリーです。やっと「かもしれない」が合わないのが出てきました。
これは、婉曲というやつです。優しく提案したりするやつです。「やってあげてもいいよ」みたいなやつです。
映画『2番目のキス』より
he could be a deadbeat dad.
錯覚の研究が進んでいるそうです。
アバターとかも錯覚を使った一種で、アバターによって性格を変えたりすることができるとか。
お芝居も錯覚を使いますよね。役者の泣き顔をみて、自分も泣いてしまう。
感情をシェアして、共感してしまう。
私はずっと、この共感や錯覚が言語、会話なのだと言っているのですが、なかなか世の中に広まりません。
この共感の能力は、人間だけが持つもの。共感ニューロンという脳の一部を使って、いろいろなものを自分の中で作り上げます。
神がいると思ったり、幽霊がいると思ったり、そこよけて! って言うときに自分も危ない感じがしたり。
全部共感ニューロンです。
ゲームをやっていて、「とべ!」と思ったときに、どのボタンを押しているか意識してませんよね。
ただ、「とべ!」と思っている。
これが、母国語の状態。
自分はそのキャラクターじゃないのに、「とべ!」とか「あぶない!」と思っているのは、すべて錯覚です。
錯覚を感じることができる能力というわけです。
英会話と、その錯覚に何の関係があるのかというと、ゲームの感覚に似ています。
「それとって」と言うときに、自分や相手が取るような感覚を最初に抱き、それを実行するような錯覚で、話すのです。
「とべ!」と思ってAボタンを押すところを、「とべ!」というのが母国語。
だから、最初に何か、錯覚的なものがあるのです。感情とか、説明したいものが心にあって、それを表現するために、方法(Aボタンを押すとか)を考えずに無意識に言語化して口にするのが母国語。
一度成功すると、脳がこれでいいのだと認識して、使えるようになります。
これは全部、錯覚なんです。
結果的に、英会話は、こうあるべきです。
いつのまにかストレンジャーシングスのシーズン5が決まっているとのことで、シーズン4の1からもう一度観てみたくなりました。だいぶ忘れています。いや、完全に忘れています。
このドラマはすべて、英語で観た作品なので、理解不足がある可能性があり、本当なら1からしっかり見直したほうがいいのですが、とりあえず4から。
ついでに、上から読んで理解する方法でやってみましょう。

シーズン4の第一話は「ヘルファイア・クラブ」。最初に出てくる男性は、2話で死んだはずのあの人ですよね。
アメリカには秘密でいろんな実験を行っていたのではないかという「雰囲気」があるので、それを使って作られたのがこのドラマ。
子供達を使って超能力の実験をしています。
そこで小さい頃のエルにそっくりな子が登場。エル役です。
そしてタイトル。
カルフォルニアでの暮らしがエルによって語られます。
ホーキンスとカルフォルニアの距離に寂しい思いをする視聴者。
そしてホーキンス高校でバスケ部の壮行会。一方でカルフォルニアの家にはロシアから荷物が。
さて、新聞局ではナンシーが同僚と話しています。
Maybe I’m missing something, but why can’t Jonathan come down here for break?
訳は「春休みなのになぜジョナサンは来ない?」となっています。
ナンシー
Because
同僚
Because why?
ナンシー
Because a lot of reasons.
といって、理由を説明します。
Okay well, there’s no story here,
if that’s what you’re after.
His mom works.
so he has to watch over his brother.
On top of that, he’s not early decision like me,
so he’s waiting on his acceptance letter,
and he wants to be there when it comes.
Which I totally get.
このナンシーの長いセリフをリアルタイムで上から受け入れていけるかどうかです。
まず最初に、
Okay well, there’s no story here,
if that’s what you’re after.
こちらは、「わかった。でも、ここに物語なんてないわよ。もしあなたが望んでいるなら」という訳になります。
that’s what の部分が「それがあなたの〜の何かなら」という部分で、即訳できると便利です。
次に、
His mom works.
彼のお母さんは働いている。
so he has to watch over his brother.
だから、彼は彼の兄弟の面倒をみなければならない。
On top of that, he’s not early decision like me,
それに、彼は私みたいに早めの決定じゃなかった
so he’s waiting on his acceptance letter,
だから合格通知を待っている
and he wants to be there when it comes.
それで、彼はそれが来るまでそこにいたいの
Which I totally get.
それがすべてよ。
という感じです。
文章にすると上から読んでも楽勝だったのではないでしょうか。
ですが、早口で言うセリフ。
上から聞きながら、理解できたでしょうか?
たとえば、日本語字幕を観ながら英語を聴くのは意味がありません。
英語で聴くときは、英語の順番で聞いて理解しなくてはなりません。
練習としては、英語字幕だとしても、上から読んで理解していくことです。
理解していくペースはセリフと同じにするのです。
couldも考えてみましょう。
If I had gone to the festival, I could have bought some sweets.
これは仮定法の文になるので、
後半は「いくつかのお菓子を買えたのに」と訳します。
推量の場合は、「もし昨日お祭りに行っていたら」という部分は同じく存在しません。
訳は、
「いくつかのお菓子を買ったかもしれない」
という感じで、日本語でも微妙に言い方が変わりました。
仮定法では「できた」の意味が入りますが、推量はcanの意味が入らないので「~かもしれない」「~はずだ」という訳になります。
その推量の場合、未来、現在、過去で使い方を分けてみます。
未来 原形 例 play
He could play with it. それで遊ぶはず。かもしれない。
He would play with it. それで遊ぶだろう。
現在 現在進行形 例 be playing
He could be playing with it. それで遊んでいるはず。かもしれない。
He would be playing with it. それで遊んでいるだろう。
過去 現在完了 例 have played
He could have played with it. それで遊んだはず。かもしれない。
He would have played with it. それで遊んだだろう。
That could be good. はここで分類した未来の原形で、「よくなるはず」「かもしれない」です。
仮定と推量を使い分けるトレーニング法
昔、「wouldは現実に起こることや起こったことには使えないよ」と言われて、違和感があった話を思い出します。
That would be good.
と私が言ったことに対して言われたのですが、実際にネイティブが使っているので、どうしてだろうとよく考えてました。
これは、まさに推量と仮定法の差だったのです。
仮定法は頭の中で「する」。でもあくまで想像。これはたしかに、現実に起きていることとは関係ありません。
でも、推量の場合は、「~だろう」という意味で、これから現実に起こるであろうこと、もしくは過去に実際に起こったはずだという推測で、「現実に起こること」です。
なぜ友人が「wouldは現実に起こることには使えないよ」と言ったかというと、日本の学校ではそう教えるからです。
推量のwouldとcouldをほとんどやらないのです。
OMG!!!!
推量のwouldとcouldはWeb上でも切り捨てられています。
ですが、実際に使います。
そして、この推量と仮定をうまく切り替えられないと、実際の英語での生活に支障をきたします。
Back in the day when there were merely parents, as opposed to people who were engaged in parenting, being a parent was fairly straightforward.
この文はどうでしょうか。
カンマが連続して続きますが、その場合の理解を把握する必要があります。
Back in the day when there were merely parents
は、
親だけがいた時代に戻ると
です。
問題は
as opposed to people who were engaged in parenting
ですが、
子育てに従事していた人々とは対照的に(の代わりに、反対に)
で、
as opposed to
は「~とは対照的に」「~の代わりに」と訳します。
「~ではなく~」とも訳せます。
この場合は
A as opposed to B
で、「BではなくA」となり、カンマは入りません。
カンマが入るパターンを見てみましょう。
As opposed to going there, I stayed here.
そこに行くかわりに、俺はここにいた。
英語のパターンとして、
A ~ B
が通常の場合、
~B, A
になると、日本語と同じ順序になります。
その場合、
as opposed to people who were engaged in parenting,
がB
being a parent was fairly straightforward.
がA
と考えることができます。
being a parent was fairly straightforward.
親になることはかなり単純でした。
なので、
子育てに従事していた人ではなく(とは反対に)、親になることはかなり単純でした。
日本語訳としてまとめると、
親だけがいた時代に戻ると、子育てに従事していた人という意味ではなく、親になることは非常に簡単でした。
となります。
一つの言葉に集中し、それを引きずって次にいくのがどこの国の言語もしていることです。
前の言葉を忘れてしまっては、理解はできません。
単語から次の単語へはもちろん、文節から文節へも同様です。
口語ではこれができないとリズムが合わないし、文語では文章が長くなるので、これができないと読解に時間がかかります。
後ろから日本語に訳してからすっきりする、我々日本人にとっては難関です。
これを考えるための文章の例を、ノーラ・エフロンのエッセイから紹介します。
For now, I’m concentrating only on the routine, everyday things required just to keep you from looking like someone who no longer cares.
上から考えると、
とりあえず、
私は集中している
そのルーティンにだけ
毎日の事は
要求する
ただ
キープする
あなたを
みえることから
だれかのように
だれももう気にしない
となりますが、これくらい長い文章だと、前の言葉の意味をホールドしたまま次にフックをかけていくというやり方は、訓練なしではできません。
11歳になる娘ですが、たとえばポケモンバイオレットは英語でやっていて、英語の本もまぁまぁ読めます。
でも、モチベーションとして英語の本を読むというのは希薄。
そして、スペルは全然勉強しません。
さすがにスペルは、勉強しないと身につかない。
それをイヤイヤで拒否してきたのです。
「しゃべれるし、読めるんだからいいか」とは思ってきたものの、できればそろそろスペルは覚えてほしいと、昼間に苦情を言ったところ、夜になって「一緒にポケモンバイオレットやろう」と言い出して、ゲームをしながら英語でゲームの説明をはじめて、マシンガンのように英語トークをはじめました。
たぶん、「どうだすごいだろう」と自分の英語力を見せつけたかったのだろうけど、私はシラケムード。
「読めるのと書けるのは違うんだよなぁ」と心で思っていました。
ちゃんとした英語学習の塾に行ったことがないし、スペルから始める子よりは明らかにスロウモード。
でも、中学から始めた私がスペルはまぁまぁできるのだから、これから学校で学ぶのだろうか。と思ったり。
アメリカでも書くことのできない子は一定数いて、いろいろ対策を練っているのですが、たしかに英語って、フランスとかが混じったせいでスペルに一貫性がない。
耳から覚えた人にとって、「なんでだよ!」的な読み方をするものが多いのかもしれません。
スペルから入る学習者のほうが、素直にスペルを覚えられたりして。
前回、過去の推測をやりましたが、単純に現在完了を過去にすればいいのでは?
と思うかもしれません。
ですが、現在完了を過去にするのは、やはり時間の特定になります。
Do you think he’d lost a lot of money?
「彼はたくさんのお金を失っていたと思うか?」
です。
he had lost ~
は現在完了ですね。
ある部屋にシャーロックが侵入すると、ある銀行マンがベッドで死んでいました。
自殺が疑われます。
そこで、
「彼はたくさんのお金を失っていたと思うか?」
と言うわけです。
ワトソンにたずねているわけですが、まず、「~と思うか?」と現在形でききます。
そして、その後半
「彼はたくさんのお金を失っていたと」
と説明するのですが、「お金を失った」のはいつか、意識していません。
なので、まず現在完了になります。
もし彼が生きていたら、hadはhaveになります。
ですが、自殺してしまったので、hadになります。
生きている最後の瞬間、時点を意識しています。
アメリカなら、
Do you think he lost ~
でもいいのですが、日本語訳は
「彼はたくさんのお金を失ったと思うか?」
となります。
「失っていた」と「失った」では、時間の意識がだいぶ違います。
「失った」は、お金を失った瞬間。
「失っていた」は、自殺したときまでに、失っていたかどうか。
こういう表現の違いをイギリス人は絶対に間違いません。
He’d been threatened.
「彼は脅されていた」
というセリフも出てきますが、こちらも脅された時点を意識していませんが、自殺するまでにすでに脅されていたという意味です。
一方、ある会長のところに警察が来たという報告を電話で受けた人が、
「警察が来たらしいよ」
と言います。
これは、来た時間を意識していないので、イギリスでは絶対的に現在完了です。
しかも、会長は生きているので、
もう一つ、時制を意識しないものに、仮定法があります。
If you had this book, you could have fun more.
「もし君がこの本を持っていたら、もっと楽しめるだろうな」
現実は本を持っていないので、別の世界線を想像しています。
その世界では、「いつ」の意識がありません。
過去だとはっきり言いたいときは過去完了を使いますが、過去形の場合は過去だろうが今だろうが、未来だろうが関係ないのです。
「君が本を持っている状態」に、時間の意識はないのです。
同様にcouldにも時間の意識がありません。
tomorrowとかin the futureといった時間に関する言葉をつけることで、時間を意識させることはできます。
仮定法の後半部分、
自動詞の考え方としては、「主語だけに関係し、他に影響を与えない」とも定義できます。
I stand.
you stand.
どちらも、主語が「立つ」だけで、そもそも意味的に次に何かを置こうと思わないので、自然と自動詞的な使い方になると考えることもできます。
最初から次の目的語が必要な意味の動詞なら、そもそも次を言いたくなるというわけです。
隣り合う文字同士が強力に結びついているとしたら、その結びつきは自動詞なら主語と動詞が強く、他動詞なら動詞と目的語が強くなります。
とはいえ、そう簡単にもいきません。
discuss
は「議論する」ですが、意味的に自動詞か他動詞か判断できるでしょうか。
私は議論する。
でも成立しそうです。
でも、discussは他動詞。
「を議論する」という意味になり、「を」が含まれていると考えるのが良さそうです。
discussという言葉自体に、右に続く矢印をイメージして、主語と動詞よりも、動詞と目的語の繋がりを強く感じるといいでしょう。