イギリスの現在完了は完璧 couldの柔軟性 003
Cover would have been perfect.
001でcouldの推量の使い方について話しましたが、こちらはwould。
ワトソンが「密輸してたのか。損を埋めるにはうってつけだ」というセリフを言います。
こちらも仮定法の訳ではないようです。
「カバーは完璧になったろうな」が仮定法の訳で、実際には起こってないことを言います。
一方、推量では、起こっただろうことを言います。
「カバーは完璧だったに違いない」
日本としては、仮定法と同じ、
「カバーは完璧になったろうな」
でも間違いありません。
これだけ推量で使われると、仮定法の立場もありませんが、mayのかわりにこれだけcouldやwouldが使われるというのはしっかり覚えていたほうがよさそうですね。
仮定法と推量の訳が同じになるのは、どちらも仮定法的なイメージを持っているからだと思います。
ある世界線を思い浮かべて、それが現実だったか、現実ではなかったかの違いです。
「かもしれない」という推量自体が、仮定法的というか、別世界をイメージしているのでしょう。
ifのあとに現在形にするか過去形にするかという話でも出てきましたが、過去形だからといって、必ずしも現実では起こらなかった、起きていないことというわけではないのです。
推量で「だろう」とか「かもね」と思っているのが、仮定法に似た別の世界線を思い浮かべている行為のために、過去形を使うのです。
その場合、その別の世界線はべったり現実ではないけど、現実に起こったことでもあるし、起こるだろうことでもあるということです。
最後に、シャーロックから例文をもっとひろってみましょう。
No-one’s been in that flat for at least three days.
Could have gone on holiday.
「少なくとも三日は家に誰もいないな」