最近 娘が できるようになったこと
気づけば、娘ができるようになっていたこと。
最近で言えば、昨夜みた夢の説明を細かくできるようになった。
「家に帰ると誰もいなくて、パパをカーテンの後ろに見つけて、ママはモンスターに捕まっていて…」
長い話を延々と出来るようになっている。
二人きりでなければ、それほど集中して話すことはないが、保育園の迎えの時間から夕方までは二人きり。
そこで英語で話しまくる。
私は話す前に「構えない」という方法を時々忘れるので、そこだけ注意して、二人の会話を楽しむ。
保育園のこと、自分のこと、世の中のこと、そしてファンタシーな想像の会話。
そういった会話が、いつのまにか長くなっている。
世の中は相変わらず、「教える」と「教わる」で英語を捉えている。
その固まった頭では、まったくこの状況を理解できない。
たぶん、私の本を読んでもまったく受け入れることができないだろう。
母国語というのは、恐ろしいほどミステリーが詰まっていて、理解の範疇を超えている。
「単語や言い方をもっと知りたい」と思っている人には、到底理解できない。
そして、「音を聴く」という人間の能力の魅力にも、気づかないのだ。