英語 「思う」と「考える」に違いはありますか?
噂のChatGPTで、こんな質問をしてみました。
「思う」と「考える」に違いはありますか?
答えはこんな感じでした。
「思う」は、個人的な感情や印象、予感、直感などを表現するときに使われます。例えば、「彼女は優しいと思う」、「今日は雨が降ると思う」のように、直感的な感覚や自分自身の意見を述べる場合に使われます。
一方、「考える」は、より論理的に分析したり、評価したりすることを表現するときに使われます。例えば、「この問題について考えてみたが、解決策が見つからない」、「彼の発言には深い意味があると考える」のように、より深い考察や分析、判断を述べる場合に使われます。
したがって、「思う」は感覚的、直感的な表現をする場合に、一方で「考える」は論理的、分析的な表現をする場合に用いられることが多いです。ただし、文脈や場面によって微妙に異なる使われ方をする場合もあります。
Yes, in English, there are also subtle differences in usage between “think” and “believe” or “consider”.
“Think” is used to express one’s own opinion, idea, or thought about something, based on one’s own reasoning or personal perception. For example, “I think it’s going to rain today” or “I think she’s a great singer.” “Think” generally refers to one’s own internal mental process of coming to a conclusion.
On the other hand, “believe” or “consider” are used to express a higher level of certainty or a more formal evaluation of something. “Believe” often implies a level of faith or trust in something, while “consider” implies a more careful weighing of evidence or factors before reaching a conclusion. For example, “I believe in the power of positive thinking” or “I consider him to be the best candidate for the job.”
Youtubeのネイティブスピーカーによる英語レッスンがありますが、そこでよく、英語を話せるようになるコツとして、「英語で考えること」が紹介されます。
が、正直どれもポンコツです。こういう動画を観るたびに、ネイティブスピーカーは英語教育に向いてないなとがっくりすることばかりです。(毒舌すいません)
たとえば、「頭の中から母国語を追い出してください」と言ったりします。
でも、具体的な方法は示してくれません。
常にそんな感じで、もっともらしいことを言うのですが、どれも細かいところに手が届いてません。
私が自分の体験で「英語で考える」について取り組んできたなかで、陥りやすいポイントや、難しい点を認識してきたので、それを紹介します。それは、ネイティブスピーカーには決してわからないものだと思います。
まず、何度も紹介してきたとおり、日本ではほぼすべてが「例文暗記翻訳英語」で成り立っています。
「例文を暗記して、日本語に翻訳する」がパッケージになっているものです。
これをテストや英検でクリアするという目的があるので、人々はそこに向かいます。
満足感もあります。
私も含め、ベースがそれによって出来上がっているので、ここから抜け出すのは相当な努力が必要だというのは、間違いありません。
ふとしたときに、その影響は現れます。
「英語だけで考える」を自分なり実行して、「おー、英語だけで考えて話してる」と思ったとして、本当にそれが「英語だけで考えている」のか。
日本人としては、心の中で「何を話そう」と思っているとき、完全な日本語になっていないときもあるかもしれません。「思う」という状態です。この「思う」で、「よし、これについて話そう」と思って、英語を日本語なしで組み立てるとして、これが本当に英語で考えていると言えるのか。
英語で「思う」までしないと、それは違うのではないのか。そう思います。
もし英語話者と暮らして、黙ってしまう期間が長くなってしまうとします。
それは、心では日本語で思い、考えているからです。
プロセスとして、日本語から英語に変えていくという点で、翻訳と同じになります。
「思う」時点から英語にしないと、ペラペラと口には出てきません。
「あー、あの音ちょっとうるさいな」「何話そうかな」「これ片付けようかな」
「英語だけで話し、思考を組み立てる」という部分はこのサイトで何度も提示してきたように、テクニック的な部分がありますが、今話している「思う」部分は、テクニックではないと感じています。
「英語で独り言を言う」も一つの方法ではありますが、おそらく、日本人としては「日本語で思ってから、言う」というプロセスになっているはずです。
「いや、自分は違う」と思っていても、自分ではわからないくらい、そうなっていたりします。
私は時々娘に、「心の中が英語ってどういうことなのか?」とか、「もう日本語になっているんじゃないのか?」と訊ねたりしたりしてうんざりされていますが、心の中は英語だそうです。
私がすごいなと思うのは、声に出して英語を話すときの日本語を排除している状態や、声に出して話すことで考えているという状態は、まあできるとして、彼女の場合、声に出さずに常に英語で「思う」ことです。
これは日本人としてかなりの上級だなと思っていて、私も日々積極的に取り組んでいます。
上級たる所以は、「やるか」「やらないか」です。
声に出して話すのは発音の練習にもなるし、勉強の過程として効果的だと思うからこそ、心の中で思ったり呟くのは時間がもったいないと思ったりするかもしれません。だから「やらない」を選択するか、そもそもやるという発想に至らないという感じでしょう。
「思う」ことから英語にして、最初は気づけば日本語になっているはずです。
これも、自分で気にして、どんどん英語にするしかありません。
が、「そもそも英語だけで考えることができない」という問題があり、これに関してはこのサイトで随時方法を紹介していて、今後も紹介していきます。
これをたとえば人と試してみると面白い現象が起きます。
「これは、親しい間柄のみで成立する会話だ」と。
英会話といっても、ビジネス用だったり、初対面用だったり、観光用だったりして、身構えて会話に挑むものです。
「思ったことをなんでも口にしていいよ。こっちがどう思ってるかとか気にしなくていい」として、思ってることを呟いてもらう会話方式にすると、たとえば熟年夫婦の縁側の会話みたいになるのです。
ぜひやってみてください。