母国語は「ありのまま」の姿勢で挑む

母国語のように英語を覚えたいといっても、その過程ではどうしても「理解したい」「聴き取りたい」といった気持ちが出てくる。

あまりそこに気持ちが傾きすぎたときは、基本に戻る。

「ありのまま」だ。

 

たとえばドラマの英語を聴くとき、ありのままを受け止め、ありのままを聴く。

もしかしたら、その俳優たちの英語はアメリカ英語の中でもだいぶクセがあって、聴き取りずらいかもしれない。

それでも、ありのまま聴く。

理解しよう、聴き取ろうと思わない。その音をただ受け入れる。

 

もしそれが母国語だったら、それがどんな音であれ、基本的な音で、正解だ。

聴き取れないから、「この英語はクセがある」なんてそれほど思わない。

 

リダクションもリンキングも、そのまま聴く。

 

そのときは、「ひとつひとつ聴く」とか、「真似するように」とか、ここで述べたいろいろな方法のことも忘れる。

ただ聴く。

 

その言語が、自分の母国語だと思うこと。その言葉以外、使えないと思うこと。

 

「日本語で翻訳してはじめて理解したと思う」とはまったく次元の違う「理解」がやがてやってくるはずだ。