子どもは、「使える」と思った言語を選ぶ。
ある記事を目にした。「親が子どもに英語で話しかけている」という家族に出会ったが、その子どもがしっかり話せていないというもの。
本来子どもは、独り言として母国語をぺらぺらと発話するのが普通なのに、それができていないという批判だった。
なので、「子どもに小さいころから英語を教えるのは危険だ」という、よくある記事。
たしかに、「子どもに英語で話しかければそれでいい」わけでもないし、「日本語を話せるようになってからの日本語による英語教育」が素晴らしいとも思わないので、批判する気持ちもわからなくないが、このよくあるパターンの幼児英語教育批判は、とにかく決めつけが多い。
本でも映像でも公開しているとおり、私の娘は早い時期から自然発話していたし、今も一人遊びは英語でずっと遊んでいる。
娘が0歳から英語で話しつづけているが、その時点で私のスピーキングがネイティブ並であるわけもない。
「親がネイティブならともかく」
というただし書きをするが、「片一方の親がネイティブなら母国語として二つの言語を習得する場合がある」というのは大事な事実で、「幼児が2言語を同時習得できる」というのも、否定すべき事柄ではない。
結局、私が実践してみて、親がネイティブかどうかは関係なかった。という結論になっている。
それは英語の映像が簡単に見られる時代だからかもしれないが、親が英語のネイティブだって、日本に住んでいれば子どもは日本語しか話せなくなったりする。
要は、子どもがユースフルだと思った言語が育っていくだけなのだ。
娘の場合は、大好きなアニメや映画を観るのに、英語がユースフルだった。
それは、親の私が英語の映像だけを見せたからだ。
そして、アウトプットとして、私という話相手がいた。
母親とは日本語という役に立つ言語があり、保育園でも日本語が役立った。
だから娘は二つの言語を使い続けている。
彼女が1歳から2歳にかけて、人形でひとり遊びをしながら、英語を話し始めたとき。
それは、アニメの物語や台詞を真似しているようだった。
楽しいその遊びに、やはり英語は必要だったから、自然発話は英語になったのだ。
幼児に対して、「どのように教育すべきか」と、正論を掲げても実用性はない。
子どもは好きなことを好きな分だけやる。
英語も日本語も、楽しかったら、有用的なら使うのだ。