英語の時制ニュアンスから逃げない! I’m living in Tokyo now.  時に文法は感覚的。

英語の時制ニュアンスから逃げない! I’m living in Tokyo now.  時に文法は感覚的。

あるYoutubeでhave livedの使い方について、日本人の方とネイティブの方が議論していたが、ネイティブの方も話していてよくわからなくなるほど、英語や現在完了の「答え」は少し遠くにある。

でも、文法をしっかり勉強しているネイティブの人にとっては楽勝で、そういったネイティブの人たちが英語でいろいろとネット上に情報を残してくれているので、日本人としては本当に助かる。

ただ、感覚的に英語は使いたいのだから、あくまで感覚の話にしたい。

その感覚として使いたいのが、時制だ。

文法的な響きのある「時制」だけども、時制も感覚的なのだ。

たとえば、

「今、○○している」

というときに、「今」に込める感情。

それは、文字通り「今です!」という気持ちだ。

一方で、「3週間くらいしています」という時は、「3週間です!」という気持ちを込めている。

「今」とは明らかに違う。

「したことがあります」というときは、「いつかは覚えていないけど、1回か2回あります」という気分で話す。

この3つの違い、3つの気持ちの違いを使って話せば、過去形や現在完了を使い分けることができるのだ。

Youtubeで議論になっていた、

I’m living in Tokyo.

は、「今、」「今は」という気持ちのときに使う。

このnowがある限り、現在進行形のI’m liviningを使おうと思えばいい。

時が明確なときとも言える。

では、「3年間住んでいます」と言いたいとき。つまり、期間を言いたい気分のとき。

それは、

I live in Tokyo for three years.

もしくは

I’ve lived in Tokyo for three years.

で、これはどちらも「ずっと」という気分が入っている。期間の気分が入っている。

「住んだことがある」といいたい気分のとき。つまり、「いつ」は明確ではない経験のとき。

それは

I’ve (ever) lived in Tokyo.

これに期間を入れたりすると、文法的にはややこしくなる。

たとえば、「住んでいた」という過去形にすると、

I lived in Tokyo.

だけども、

I lived in Tokyo for three years.  は継続的な意味合いでの「3年間住んでいた」という意味。

進行形なら

I was living in Tokyo when I was 19.

※時を明確にしているとき

ということで、それぞれ過去の意味合いになったが、

I’ve lived in Tokyo for three years. だと、今も住んでいることになり、過去のことにはならない。

しっかり単体で使わないと、経験の意味にならないのだ。

Youtubeでは「I’ve lived in Tokyo for three years. 」でもいいのではないかという意見が出てネイティブは困惑していたが、これはそのためだ。日本人の人は、経験用法を過去の出来事の表現として使おうとしている。そのため、「経験+期間」でもいいじゃないかと言っているが、英語は時制のニュアンスで話すので、それだと不自然になる。

経験を過去の話として捉えたり、使おうとしたりするのも違う。

経験はあくまで、「したことがある」というニュアンスだ。

どんなときも、過去形を使うときは、時が明確なとき。

明確じゃないときは現在完了。

文法的には、liveは「住む」というアクティブなニュアンスのある動作動詞として、

I’m living in Tokyo. を使う。

I live in Tokyo. は「住んでいる」という状態をあらわす動詞で、これに「ずっと」のニュアンスをもっと付け加えたくなると、

I’ve lived in Tokyo for three years.

となる。

そういうニュアンス、気分の使い分けもして使ってみたい。

学校で最初に現在完了を習うときに、「この時制ならこう」という法則を習っているはず。

それがまったくもって正しいのだ。

文法的にしか聞こえない法則だけども、それをニュアンスとして感覚的に使うのが母国語。

時に文法は正しすぎるほど正しく、感覚的なのだ。