英検とか、ほんとに要らない クリエイティブな英語を身につける
若い頃に油絵を学んでいて、最初に16色の絵の具で描いていました。
上手くいかないと、先生はこう言いました。
「4色だけで描いたほうがいい」
それはつまり、4色だけで、なんとか色を出そうとすることで、混ぜたり、並べたり工夫をして、結果的に鮮やかないい絵になるということでした。
すでに絵の具師が作った色をキャンバスにのせるのは簡単で、実際に見た風景の色を、その色に置き換えるだけです。それに対しては、鑑賞者に対しても大した感想を抱かせません。
言語、特に会話において、これとまったく同じことが起こります。
よく、生徒たちと話していて、英語だけで会話するときに、「えーっと、英語でなんて言うんだっけ?」となる時があります。
これは、まさに、用意されている絵の具を探している状態です。
的確に言い当てる、定型文や単語を探しているのです。
私は英検にまったく興味がありませんが、進学や就職に必要になる場合があるので、うちの娘もそのうち受けるかもしれません。
先日、1級の問題を初めて見てみました。
すると、見慣れない単語がずらりと並んでいました。
まさに、「的確に言い当てる単語」です。
「いったい、いつどこで使うのだろう?????」と思うものばかり。
私が普段読んでいる英語の本には絶対に出てこないものばかり。
ましてや、英会話で使うとお互いにチンプンカンプンになること間違いなしです。
そして、こういったものを覚えるために使う時間は膨大になるでしょう。
この難しい単語から、それぞれ自分の表現にあったものをピックアップし、口に出す。
はい、おしまい。
です。
16色で描いた絵の完成です。
そういった会話や文は、つまらないものになるということです。
英語ではBig Wordといって、嫌がられます。
時々、私は「TOEICで高得点」と自慢している人がいますが、そういう人に多い、難しい単語を使って英会話をしようとする人たち。本当に恥ずかしいです。
NYに留学していた友人と、クイーンズのアパートで20代のはじめのころ、こんな会話をしました。
「大学で同じような留学生がいるけど、英語の知識がそんなになくても、結局中身のある会話をする人が尊敬されてる。俺はダメだ」
彼は必死に頑張って英語の勉強をして、日本式の知識があったけど、英会話となると壁があったようです。
この「中身のある会話」というのは、人間性や言語と関係ない知識のことだけではありません。
一体、何が中身のある会話にするのでしょうか。
4色の絵の具というのは、言語で言うと、例えばtake、get、have, giveといった動詞です。
あくまで例であって、言語なのでこれが10個でも構いません。
要は、こういった誰でもわかる単語を使って、わからない表現や単語も含めて、なんとか表現することで、自分だけの絵ができるというわけです。
それが「中身のある会話」として評価されます。
なぜかというと、そうすることで、自分なりのユーモアや世界観が表現されるからです。
ネイティブの人では思いつかないような詩的なものになるかもしれません。
それを、「少し面白く表現してみよう」くらいの気持ちでやるのです。
相手もくすっと笑っていいのです。
「正しい言い方がきっとあるのに、間違ったらどうしよう」と思うのが普通ですが、「少し面白く表現してみよう」と思うことで、その壁も乗り越えられます。
よくある、「こういう言い方はネイティブはしない」とかいうNG集がありますが、そんなものは気にする必要ありません。失敗して、自分で学べばいいのです。
日本の英語のテストは、まさに「こういう言い方はネイティブはしない」と脅すやり方です。人を臆病にさせます。
本当に、それがアウトです。
「感動した」と言いたいときに、
hit my heart
でも、
got my heart
でも、
なんでもいいのです。自分のイメージで考えるだけ。
「伝えよう」という気持ちが大事で、簡単な言葉だからこそ、伝わるだろうという思いです。難しい言葉ひとつで言い切って、「え! 知らないの?」と言う態度、許せません。
正直、そういった悪い方向に日本の英語本も、Youtubeも流れているように見えます。
そう思ったら、さっさとその世界から離れたほうがいいです。
簡単な言葉を駆使して、自分なりに表現するのは、そういった勉強よりずっと楽しいです。
アメリカ人が1歳から5歳くらいの子に話しかけるとき、Big Wordを使うことはありません。噛み砕いて、わかりやすく、何度も言い換えます。
相手が理解することが大事だからです。
「英語ではなんというでしょうか?」
という言葉の呪縛から解放されるかどうか。これは大事なことです。
自分だけの表現を掴めれば、英語は単にクリエイティブな遊びだと気づくことができます。