ネイティブが日本語で説明できない、canとbe able to 002(公開)

ネイティブが日本語で説明できない、canとbe able to 002(公開)


CanとBe able toは、「備わったもの」と「一時的なもの」でも分けられない

能力において、Canは「備わったもの」で、Be able toは「一時的なもの」と説明するもの(サイト)もあります。これも、それぞれの部分的なものを使って分けているだけです。

「備わったもの」は「自転車」や「水泳」「読み書き」で、一度習得すると「できる」になり、その程度は関係なく、「できる」ことになるものです。

一般的で、多くの人が習得してるものでもあります。能力ということもできます。一時的なものではありません。

「そこにあるスプーンとってくれる?」という意味での「とれる?」は、習得したものについて聞いているのではなく、一時的に、意思として、できますか?

という感じです。

なので、これは能力ではなく、「依頼」とします。「一時的なもの」です。Canですが、「一時的なもの」
です。


ではなぜあるサイトではbe able toを「一時的」と説明しているのかというと、たとえば「このバスに乗ったら3時までに空港に着くことは可能かな」というのも「一時的」で、be able toだからです。

能力ではなく、客観的事実に基づいた可能か不可能かという話です。

また、習得した能力のように、「いつでもどこでもできますよ」がcanで、1回だけできたか、できるか。という能力プラス努力パターンがbe able toになるので、それが「一時的」でもあります。

まとめると、

Be able toの「このバスを使うと30分後にここまで来れる?」は、それが「可能かどうか」の答えを求めています。状況的なもので能力は関係ありません。

そして、たしかに「一時的なもの」です。これを可能とします。

これがCan you? になると、「頑張って30分後に来てくれ」という意味になり、答えは「やります!」というのを求めています。これが依頼です。「一時的なもの」です。

どちらも「一時的なもの」で「能力」ではない、可能と依頼です。

canとbe able toは、どちらも「能力」ではない、「一時的なもの」を持っているということになります。

そしてどちらも「能力」を持っています。「一時的なもの」ではない、「備わったもの」のcanと、ドラムを叩ける」のbe able to です。

ということで、「備わったもの」と「一時的なもの」で分けるのは、部分的にピックアップして比較しているだけです。

「能力(備わったもの)」「一時的なもの」で分けるような解説があったら、間違っていると考えていいです。