英語を母国語として身につける

ベルギーと多言語主義 マルチリンガリズム そして「国境はな〜い!」

ベルギーは北がオランダ語、南がフランス語で、言語的に分断されている国家だ。

歴史は複雑で、オランダ語とフランス語の戦いを経て、今はスイスと共に多言語国家と呼ばれている。

そして、どうしていくつもの言語を覚えるのかということについて、ベルギーの歴史は何かを伝えてくれる。

「人文主義」「多言語主義」「復言語主義」

それがもう一つの言語を覚える理由だ。

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ベルギーはかつてベルガエと呼ばれ、ネルウィ族が今のベルギー人の原型と言われている。

ローマ帝国のカエサルと戦い敗れたネルウィ族は、ケルト人で構成されるガリアに含まれる。フランスはガリア人を中心に、北部はゲルマン系と混血して完成しているが、その通り道がベルギーであり、ゲルマン系王朝のフランク王国の首都トゥルネーもベルギーに置かれた。

いわゆる「ゲルマン民族の大移動」だが、これがベルギーの言語境界線を作ったというから面白い。

375年ごろから始まった大移動で、ゲルマン系フランク族はローマ領ガリア・ベルギガに侵入。今の言語境界線は、この時のローマ軍の撤退線とほぼ同じらしい。

ローマ軍が下がったところというのは、ベルギガを東西に区切る軍用道路の南側。それによって、フランク軍はその北側に留まった。

それからしばらくは、その線ではっきりと言語の違いができたわけではないが、とりあえずはゲルマン系の言葉(オランダ語に近い)を話す地域と、ガリア系(フランス語の基 フランス語はガリアとゲルマンの混合語)+ラテン語(ローマ帝国の言葉)の言葉を話す地域に分かれた。

 

そこからフランク族の中での争いがあったり、フランク系の一部族サリがローマ軍を打ち破ったりと、数世紀に渡る戦いがあり、その後にフランク族とガリアを統一(507年)したのがメロヴィング朝クローヴィスで、トゥルネーに王宮を置いたのは彼だ。

つまり、フランク王国の発祥の地はベルギーということもできる。

このフランク王国で、第一回十字軍を率いる人物が登場する。ゴドフロワ・ド・ブイヨン公だ。指揮の経験がなかったといわれる彼はエルサレムで指導者となったのには、ベルギー特有の言語感覚が影響しているという。

フランス、ゲルマン、ローマ(イタリア)の十字路であるブイヨンという土地で、多言語を理解できる人だったからというのが、推測される理由だ。

様々な言葉が行き交い、争いの絶えない十字軍をワン・ユーロにするために、調停役として最適だったのだ。

 

ゲルマン民族がかつて押し寄せた軍用道路の北側は、12世紀頃にフランデレンと呼ばれるようになった。有力貴族フランドル伯の登場だ。

経済的に潤っていた地域だから、フランスがそこを狙った。それを阻止しようとしたイギリスとの間で起こった百年戦争が終わってからは、結局フランス系ブルゴーニュ公国の支配下に入り、フランデレンの上流貴族はフランス語を話す人が多くなっていた。

そして、王族の婚姻を重ねるうちにハプスブルグ家支配地となったベルギーは、ヨーロッパ中にまたがるハプスブルグ大帝国皇帝カール五世を生んだ。彼はベルギーのヘントで生まれ育っち、フランデレンの上流階級が話したフランス語で育った。そして、スペイン語、ドイツ語、ラテン語を次々と修得していく。

またもや、多言語でヨーロッパのリーダーとなる人物が現れたということになる。

 

ベルギーの歴史は苦悩の連続だ。オランダと同じネーデルランドになったり、フランスやハプスブルグ家の板挟みにあったり、独立運動、支配、独立運動を繰り返し、オランダからも狙われているときもあった。

宗教改革の混乱時には、画家ルーベンスが登場し、オランダ独立戦争時にベルギー独立のキーマンとして活躍する。

彼も多言語を修得していたが、それは人文主義教育のもとで修得されたものだったという。

人文主義(じんぶんしゅぎ)はルネサンス時におこった思想で、ヒューマニズムとも訳される。中世の封建主義やキリスト教の古い世界観から解放を目指すもので、全ヨーロッパにひろまった。「普遍的な教養は何か」を追究し、その過程でラテン語やギリシア語をはじめとする多言語の修得が必要だったのかもしれない。

内容は「自由学芸」と呼ばれ、当初は「文法学」「修辞学」「論理学」 「数学」「音楽」「幾何学」「天文学」が中心だった。

フランク王国国王にして初代神聖ローマ帝国皇帝カール大帝は、まさにこの自由学芸を推し進めた一人。

ひとつの教育主義が全ヨーロッパにひろまる中で、一人の人が複数の言語を話し、理解し、相互理解を深めるという複言語主義(Multiculturalism)と、一つの国に複数の母語があって良しとする多言語主義(Multilingualism)は育ち、一国一言語主義との戦いを繰り広げるのだ。

 

 

「言語の使用を禁止する!」

 

オランダ語を母語とするフランデレン側においては、フランス革命後のフランス支配下で、オランダ語が禁止された。

1833年には、小学校でオランダ語が禁止され、フランス側は、「統一の障害である多様性をなくせ」と主張したという。

なのに、ナポレオンのフランスがヨーロッパ連合に敗北すると、オランダに再び統合された。そして、今度はオランダ語が公用語となった。

独立革命でベルギーが独立すると、1830年の条例で「条例や法律はフランス語」と決定され、「一言語の排他的利用」を掲げ、「ベルギーの中のゲルマン的な要素は破壊する」という目的が語られた。

その後徹底した施策においてオランダ語は危機的状況を迎えるが、永世中立国となったことで事態が急変した。フランスの巨大化を恐れたヨーロッパは、オランダ語話者が占めるフランデレンこそが政治的な緩衝地帯になり得ると期待したのだ。

フランス語を話す南部ワロン地方では緩衝にならない。

そこで、オランダ語復興運動いわゆるフランデレン運動がはじまった。

 

1837年にはベルギー国王レオポルド一世がオランダ語文学の復興を支援する助成金を設けるなど、ベルギーに二つの言語が存在することを公的に認める風潮へと完全に変わっていった。

こうして多言語国家ベルギーが生まれるのだが、これが未来のヨーロッパ像へのアイディアとなっている。欧州評議会が「外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠」において、復言語主義について触れているのは、「一人の人物が多言語を操ることで、言語を切り替えながら問題を解決できる」という能力を推奨しているということだ。

ヨーロッパ中に複数の言語を母国語とはいわないまでも修得した人がいればいいという意見で、過去にベルギー(フランドル)が輩出したルーベンスはまさに復言語的な人だったといえる。

ヨーロッパ中が過去の歴史において争ったのは、一国一言語主義による祖語で、互いに理解しあえない環境に追いやるのは常に言語問題であった。

フランスは最後までワロン地方はフランス語だからフランスに統合しようとする考え方があったし、オランダはフランデレン地方を獲得しようとした。

一国に両隣の言語があるなんて、おかしいというのが一国一言語主義で、ナチス・ドイツもドイツ語話者がいる地方を次々と併合した。

違う言語では結局、国民レベルで理解しあえないのが実情で、「同じ話者同士で固まろう」となる。「何を考えているかわからない」として恐れるのは、言語的な意思疎通が古い水道管のように詰まり気味だからだ。

日本人と韓国人が争うのは、お互いに市民レベルで言語交流が少なく、新しいパイプが少ないから。

たとえばどちらの国でも同時に放送される番組が存在し、それぞれの言葉(切り替えではなく)で同じ目標を追求するようなものがあれば、もっと理解は進む。

言葉を学びながら、同じものを同時に観るという水道管を通せばいいのだ。

現況では、韓国の人は日本の敗戦国としての苦悩を見ようとしないし、日本人は韓国の国民レベルでの苦悩に向き合わない。

 

 

日本はしばらく、一国一言語主義

 

残念なことに、日本にはアイヌの言葉と、沖縄の方言があるのに、日本語一つにこだわっている。国内にも国外にも、まったく「閉ざしている」というか良いようがなく、それでいて外国人が日本語を学ぶと「嬉しい」と言う。

未だに「日本語を先に覚えてから」とか、「日本語力をとにかく高めるべき」という国際感覚の欠如した考え方が存在するのは、「日本を守りたい」という一心から来ていて、必ずしも悪意があるわけではない。

「友達に国境がな〜い!」を批判した議員は、愛国心から言ってしまっただけだ。

だが、樺太の人々が日本語を話していたら「併合しよう」と言うかもしれない。

「日本語を話す人々が住む、日本以外の国を認めない」と宣言したりする。

仮に北海道が今もアイヌ語の土地だったら、日本として認めないか、日本語を強要するだろう。

 

そんな愛国心いっぱいの彼も、日本の番組に「日本語を話す外国人」が出てくると、嬉しさと親しみを感じるだろう。

それは、韓国の番組に「韓国語を話す日本人(今大勢出てきている)」が出てきたときや、中国の番組に「中国語を話す日本人(福原愛のような人)も、それぞれの国の人が感じるのは同じ感情なのだが、どの国も愛国心溢れる政治家が「国益」という魔法の言葉で人々を惑わす。

「仲良くしてないで、国のために国を守れ!」

ということだ。

そもそも、どうして威嚇したり、軍事訓練するほど敵対視しているのか? というところは解決しようとしない。

 

結局、複言語主義(英語と日本語、韓国語や中国語などを話せる人物の育成)にも多言語主義(アイヌ語と日本語の共存、英語との共存 国内での複数の母国語を認める)にも、「日本を壊すもの」と考える人の巨大で長い壁が国境に存在している。

 

 

 

参考 『物語ベルギーの歴史』『日本における複言語主義教育の可能性について』

※多文化主義は Multiculturalism マルチカルチャリズム

多言語主義 はMultilingualism マルチリンガリズム