英語を母国語として身につける

信じられないけど、信じるしかない。

娘の英語に関する本を書きながら、いろいろ見えてきたもの。

はっきりと活字になり、ルールとして提示はできたけれど、それのどれもが「信じられないもの」だった。

特に「勉強しない」「訳さない」という方法は、そうだと思いつつも、元々の自分を考え得ると、絶対の信頼を置くのはなかなか難しいもの。

「意味を推測する」というのも、「文法を気にしない」というのもそうだ。

そんな方法にたいていの人は自信が持てないし、もっと他の方法で英語を上達させたいと思う。

子どもに対しても、具体的に「教育」をしたいと思うはずだ。

 

娘が「意味を推測している」と気づいてから、私もそうするように心がけていた。





でも、意味を調べること、使い方を調べることが染みついている私にはやはり難しい。

英語を調べる方法はいくらでもあるし、翻訳ソフトもある。

目の前にあるのに、その手を引っ込めたくない…。

 

フランス語のアニメを観て、聴いた音を推測していく。それを初めてから、英語にも変化が訪れた。

やってみると以外と簡単にできたので、自信がついてきたのかもしれない。

 

ネイティブの音を映像と共に聴いて、

その音を覚える。

そして、その意味はなんだろうと考える。

音を先に覚えたりする。

使い方はわからないけど、使ってみたくなる。

そのうちに、意味がわかったりする。

 

それは、今の音、今出している音、読んでいる単語に集中するという、会話の基本に立ち戻ることができる。

文法として理解して、単語を置く順番を考えるのではない。

ただ、何も考えずに反射的に音を出すこと。

それがある程度正しい方向に向かうのは、正しい音を何度も聴いているからだ。

日本語でも、常に「今の音」に集中している。順番なんて考えていない。

 

順番なんて、どうでもいいのだ。

 

「順番が違うと、間違った意味で伝わるじゃないか」

というのが、それに反対する意見。

でも、とにかくどうでもいい。

 

英語を読むときもそうだ。ただ、今目の前にある単語を読む。前みたいに、立ち止まったり、振り返ったり、一文を読み終えてから日本語に訳そうとしない。ただ英語の単語を読む。

 

と言っても、それが信じられないような意見だから、何度も言う。

 

数年前、英語のニュースを観ている私に、「全部理解しているの?」と妻が訊いてきた。

私は答えに窮した。

日本語に訳してなかったからだ。訳さないで、ただ音を聴くというのをそのときもやっていたが、どうしてそうするのか、はっきりと説明できなかったし、「理解していない」というのも正しくなかったからだ。

自信がなかった。

「聴きながら日本語に同時に訳して理解する」のが当時の理想であり、英語のままで理解するようなイメージがゴールなのかどうかわからなかった。

 

では、そういったことを第三者にオススメするとして、「信じられない」というのは理解できる。

「どうやって信じればいいのだ」

という意見に、返せる言葉はない。

信じるしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


  
 


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