even if は「もし〜だとしても」だけじゃない。
娘といるときに、「軽くやっても大丈夫だから」的なことを言おうとした。 If it̵ …
ここで紹介してきた、「ありのままに聞く」「リズムごと真似する」といったことを前提として、リンキング部分を中心にしたリスニングに変えると、ネイティブの音が耳にすべて入ってきませんか?
もしアメリカ英語に強力なリンキングがなかったら、もっとリスニングは簡単だったでしょう。
でも、残念ながらアメリカ英語のリンキングは、想像以上に音を変えます。
ここから逃げてはいけません。本場の英語や映画の英語もすべて、リンキングの宝庫。リンキングされた音を耳に入れずに、どの単語を発音しているか当てるのは誰だって困難です。
こんな簡単な文もチャンク化するとこうなります。
I even wrote down
a list of all the things
I like about you.
発音はアイブンローダウン。
evenがイーブンだと習って、はっきり発音されると思っていたら、このセリフを言うベンはevenがないかのようにぼそぼそと呟いています。
evenの前後には隙間が無く、本当にあるかないかわかりません。
でも、これからはそういうものだと思って、アイブンと使ってみましょう。
娘はI’veかと思って撃沈…。
老人となったヒーローをシルベスター・スタローンが演じた映画『サマリタン』。
肩をぶつけられても謝ったサマリタンに対して、子どもが
Should’ve thrown him over a tree or something.
と言います。
たとえばネイティブが、「ライルラレラエ」と呪文のように話します。
相手は「フーレジダレ」と呪文のように返します。
日本人には呪文のようなのに、会話が成立している。不思議です。
発音やリンキングによって、呪文のようなチャンクになる英語。
これを勉強方面から聴き取ろうとしても、まったく聴き取れません。
ではどうするのかというと、「音をありのままに聞く」ということで、このサイトでも何度か触れてきました。
そして、これが非常に難しいです。
一つひとつの言葉の発音を勉強して、それが相手の会話の中にあるかどうか。それを聞き分けようとするのが、第二外国語として英語を勉強している私たちのやり方です。
聴き取れなかった音は排除して、聴き取れる音は自分の発音に無意識に矯正して認識します。
母国語としてやらなくてはならないのは、音としてすべて聞くということです。
もしそれが勉強したことのないフランス語だったら、すぐできます。
そのまま真似するのも簡単です。
音をそのまま真似する気持ちで聞くのが正解ということです。
これがいろいろな要因で出来ないのですが、解決方法としては、「呪文と思う」というのも、馬鹿げていますが有効です。
リンキングも含めたチャンクをありのままに音として聞く。
これができると、要は、「難しい英語を聴きとれる」ということです。
まとめると、
リスニングの心構えは、「聴き取ろうとしない」。
「聞こえた音をそのまま覚えよう」と思うこと。
今までは知っている単語が相手の文章の中にあるかどうかを探っていたけれども、これからは相手から聞こえてくる音をまるごとを覚える。→の向きを変えるのです。
たとえば、
I want him on our side. (彼を味方につけたい)
という文があったとして、onがあるかどうか、聴き取れるでしょうか。
身体拡張機能を応用した、意思を優先した会話方法と、語順を意識した会話方法。
取り組みの順序としては、「語順を意識した会話方法」を先にやります。
まず主語を出して、その主語に対して次の言葉を繋げていく方法。
ジェスチャーもつけます。
この方法は、少し簡単です。
また、テクニカルといえば、テクニカルと言えます。
次に、意思を優先した会話に取り組みます。
これは本当に、準備とか、テクニックを使いません。
言いたいことが先にあって、無理やり出すようなイメージなので、最初は間違ったブロークン英語になると思います。
喧嘩しているときに出る英語、というイメージでもいいです。
ディスカッションでも同じような状態になるので、何かトピックを作って議論するのもいいと思います。
こういった順序で、また語順に戻ったり、リーディングでジェスチャーを加えたり、いろんな取り組みをやっていくといいと思います。
今はインプットで、今はアウトプットだと意識することも重要です。
身体拡張的(Body expansion function)に話すときは、すべてが英語の世界です。
「どうしようか」と考えるのもすべて英語。英語しかない世界です。
先日、ある英語の本を読んでいて気になったのが、過去形に関する考え方です。
著者の方は、「過去形は過去のある時点(はっきりとした過去)と、ぼんやりした過去がある」と書いていました。
しかし、基本的には「はっきりとした過去のある時点」を指して使うのがルールのはずです。
どうして過去形にも「ぼんやりとした過去がある」と著者の方は思ったのか、これは、状態動詞と動作動詞という違いを含めて考えないと解けません。
たとえば、「住んだ」という言い方をするチャンスはなかなかないですが、
「そのころ、私は東京に住んだ」と言いたい場合と、
「そのころ、私は東京に住んでいた」と言いたい場合があります。
「住んだ」は「住む」という動作の過去形です。
「住んでいた」は「住んでいる」という状態を表す動詞の過去形です。
Liveは、そのどちらも持っている珍しい動詞なのです。
「ぼんやりとした過去」というのはまるで現在完了のようです。
現在完了は「はっきりとした過去のある時点」と一緒に使えません。
その動作をはじめた時期について、「無関心」だからです。
「住む」の動作動詞を進行形にすると「住んでいる」になります。
現在進行形も、「はっきりとした今」という時制になるので、
英語の「今、私は東京に住んでいる」は、動作動詞の延長として使えます。
同時に、状態動詞の「住んでいる」も使えます。
動作動詞は進行形にすることで状態化するので、意味はほぼ同じになります。
過去形においては、基本的には、はっきりとした時制がある場合に使い、そうではない場合は現在完了を使います。
Liveの場合は、
「3年前、東京に住んでいた」と言いたい場合、
I was living in Tokyo.
が動作動詞の状態化で、
I lived in Tokyo.
が状態動詞。
どちらも、状況を表しています。
著者の方は、この使い方を「ぼんやりした過去」と表現したのですが、あくまで、「3年前」といった、ある時点での状態のことを言っているので、ぼんやりしていません。
以前に書いたbe able toとcanの使い分けについて人に説明していると、途中で頭が混乱してきました。
そこで、前に書いた文を読んでみても、たしかに分かりづらい。
今回はもう少しかみ砕いて説明したいと思います。
「「一時的で、特定の状況下」の過去形の場合は、be able toを使う」と以前に書きましたが、突然そう言われても意味がわかりません。
一時的というのは、「昨日のパーティ」とか、「さっきバスに乗れた」とか、「試験に合格できた」とか、そういうことです。さらに、これらの言葉には、「特定の状況下」であることがわかると思います。
逆に、特定の状況下にない場合というのは、日本語的におかしい感じがしますが、「水泳を泳げた」です。これは、「小さいころ、水泳を泳げた」という場合のみ使えて、状況は関係なく、一時的でもなく、能力の話になります。
能力の場合、couldを使います。
I could swim.
能力のcanの過去形です。
I could see. (見れた)というのは、一時的で特定の状況下でも(能力でなくても)例外として使えます。知覚動詞の場合にこうなります。
現在系ではcanが一時的で「誰でもできるけど、とりあえずそれができるかどうか」で使いますよね。依頼のCan you? がまさにそれです。能力としては Are you able to ~? になるのに、過去形になると逆転現象が起きるのです。
Can you〜〜? 「誰でもできるけど、とりあえずそれができる?(できるなら、やってほしい)」
Are you able to ~? 「30分ランニング続けることができる?」(やれるかどうかの質問)
I could ~. 「30分ランニングを続けることが(あのころは)できた」
I was able to ~. 「誰でもできるけど、とりあえずできた」
ここまでならまだ簡単ですが、そう簡単でもないです。
主観的な能力、たとえば、「泳げると思う」はcanだからです。
ネイティブはたまにcanとam able toの違いは「能力かそうでないか」で、am able toは能力と単純に分けている人がいますが、調べてみると、そんな簡単ではないのです。
また、couldは仮定で「できるだろう」という意味にもなるので注意が必要です。
たとえばドラマ『ストレンジャー・シングス』の中で、モンスターが血を嗅ぎつけるかどうかを知るために、
We could test it. 試せるかもしれない(試せる)
というセリフが出てきます。
まさにこれは仮定を含めた「できるだろう」です。
決して、子どものころに「試すことができた」という意味にはとれません。
I could pick you up.
「もしパーティに行くなら、ピックアップできるよ」
も仮定の可能です。
これらは能力ではないので、本来ならbe able toですが、仮定は過去形を使うのでcouldばかり使われます。
また、この一時的な可能の過去形はこう作ります。
I could have been killed!
訳は「殺されたかもしれないんだぞ!」ですが、
これも能力ではなく、仮定の「かもしれない」となります。
We could test it. これを過去形にしたい場合ですが、
現在完了の使い方の一つで、よく出てくる話が、
「午前中のことは過去形」
「今午前中なら現在完了」
というのがあります。
これは、「朝ご飯もしくはブランチ的なものを午前中に食べたけど、今は午後なら過去形」ということ。
まだ正午を迎えていないなら、現在完了になります。
1日のうちのことは「今を含む」なので、「現在完了になる」という大枠から外れていて、少々難しいはず。
ただ、これは日本語でも同じです。普段意識していないけれど、一緒。
どういうことか、検証してみましょう。
検証のために、否定形を使います。
I didn’t have breakfast.
I haven’t had breakfast.
訳すとそれぞれ、
朝食を食べなかった。
朝食を食べていない。
となります。
肯定文なら、どちらも
「食べた」ですが、否定になると違いが出てきます。
日本人として、
Continue reading 現在完了(完了)の否定形は、実はわかりやすい。Instrumental
は歌声のない音楽。楽器を意味するInstrumentといつまでも迷ってしまいがちです。
Instrumental music is performed using musical instruments and not voices. An instrumental is a piece of instrumental music.
グーグル翻訳では
「器楽は声ではなく楽器を使って演奏されます。器楽は器楽です」
となりました。
直すと、
「インストルメンタル・ミュージックは、声ではなく楽器で演奏されます。「インストルメンタル」は、インストルメンタル・ミュージックの一部です」
となります。
Instrumental music is インストルメンタル音楽は
performed 演奏されます
using 使って
musical instruments 楽器を
and not voices. 声抜きで
An instrumental is インするメンタルは
a piece of instrumental music. インスト音楽の一部です。
ちなみにインストルメンタルという英語には、何かを成し遂げた、起こした人や物に対しても使われます。
ある人のおかげで試合に勝つと、「彼はインストルメンタルだ」という感じで使われます。
ある日、お風呂場で「このお風呂は温かいな」的なことを言ったら、娘が英語で、「えっ? このお湯の中に芋虫がいるの?」と冗談を言いました。
温かいのWarmとWormをかけていたのだけれども、私のWarmがWormに聞こえておかしかったとのこと。そこで、娘の発音を聴いてみたのですが、イマイチ違いが分からない。
そこで、iPhoneの辞書(アプリ グーグル翻訳)で娘の発音を聴き取ってもらうと、見事にWormとWarmが表示。
次に私がやってみると…、何度やってもWarmが表示される…なぜだろう???
頭の中では、Wormはワーから(あとで勘違いだとわかります)始まり、Warmはウォから始まり、次にRがあり、mで終わる。とわかっています。
発音記号的にもそのはずだけど、何度やっても私はすべてがWarmになります。
調べてみると、Wがつく単語とRの組み合わせは少し特殊らしく、Wormはorというスペルでも、Workと同じで、erという発音記号になります。Storeのように、orだと本来は、オーアと発音されます。これはアクセントがある場合ですが、一度上に行って下がるような、リラックスの母音独特の動きをします。
これが、Wの子音の場合に、erの音になるというわけです。
erは、カタカナにすると、アー(ウー)。
eはシュワのア。
強いアでもリラックスのアでもなく、絞ったような、こもったような、Rのアーです。
betterの最後のerはまさにコレ。
面白いのは、orの発音が適用されているのは、Warmの方だということ。これもwが先頭に付く場合の例外らしく、読み方はウォアムというイメージ。
母音のRは3つあり、
or er の他に、arというスペルのものもあります。Part、Starがそれで、アーアとなります。
他に、HeartやFar、Car、Art、Startなど。
orはStore、Warm、Portで、orもairも、それぞれ最初にリラックスの母音がつくので、二重母音になります。
子音のあとにすぐRが来ないので、比較的発音しやすいです。
問題はerです。