大人の英語発音は母音マスター。
完璧なネイティブ発音になりたいと思った場合に、日本人が乗り越えるべき壁は何か。 それは、圧 …
Who What How Where When Whyにも例外がある。
たとえば、前に紹介したSlowlyのようなlyがつくものは主語にあとに持ってくることもできる。持って来ても通じる。
あとは、Howにはby carという交通手段も含まれるが、その場合はWhereのあとにHowが来る。
例外はこれくらいだ。
ただし、ここらへんはすでに多くの人が例文などですでに身についていると思う。
ネイティブから聴いた根拠を基にして、正しい発音と正しい語順、正しいイメージプロセスを辿ることで、会話は母国語的になる。
特にプロセスについては、慣れてくるともうすぐに直結するのでまったく問題なくなる。
他の例でも考えてみると
You can do it if you want. (やりたければやっていいよ)
は、Who What Why。
I could fly if I were a bird. (もし鳥だったら飛べるのに)
と日本語と逆になるけれども、これが基本なのであまり崩さないほうがいい。
If I were a bird, I could fly. もよく出てくる例文だが、日本語と同じ順序だから親しみやすいのはわかるけれども、強調になる。
強調したいときにはいい。
Who What Whyでシンプルに考えると、Whoもシンプルであってほしいが、時に英語では長くなる。
Something that I got in London at noon in 2001 couldn’t work in Japan in 2019 for the company because ~.
こういうことが会話でも起こるので、主語の把握は非常に大切な要素だ。
強調になるから倒置には注意と書いたが、それはあくまでノーマルポジションの理解をしてほしいからであって、駄目なわけではない。
最近、本屋に並んでいる『一度読んだら絶対に忘れない英文法の教科書』を拝見しました。
英語を一から考え直すという意味で共感の持てるものでした。
ただ一点、現在完了に関して間違った捉え方をしていたので、改めて現在完了について述べたいと思います。
著者は、ニュース番組で「have crashed」という言葉が使われていたら、今も続いているというニュアンスがあるため、「衝突し、今も炎上中」という捉え方を視聴者はすると書いていました。
なので、訳で「衝突しました」は間違いだと書かれています。
しかし、ニュース番組の場合、「衝突しました」という訳は、間違いではありません。
ニュースで使われる現在完了は、「完了」中の「完了」で、「しました」の訳がぴったり来ます。
通常、ニュースは本日中のものを語ることが多いので、その場合に現在完了を使うときがあるのです。
しかし、それは「今日、○○が○○しました」という意味で、今の時間まで行為が継続していません。
これは、現在完了を大きく捉えた「Finished(完了)」という枠の中の、さらに「完了」という使い方で、基本的にはニュースで使われるものです。
著者の方は、現在完了の継続とそれを混同していて、「線時制」という説明をしていますが、これも間違いです。
現在完了にはさまざまな種類があり、たまたまhave+過去分詞という形をしているものを現在完了としてまとめているだけで、時制の共通点はありません。
たとえば、大きなFinishedで囲まれるものには、「経験」「完了」「未完了時制」といったものがあり、「経験」は感覚的にも「いつ」を意識しません。
「したことがある」という感覚です。
これは日本語でも同じで、「過去の時点のいつ」を意識しない言い方です。
動作は終わっていて、今に繋がっていません。
唯一、今に繋がっていることがあるとするならば、話し手が生きているというだけです。
未完了時制は、「ここ3年間で5回はスキーに行っている」「今日は3回コーヒー飲んだ」という今を含む時間の中で動作を1回でも数回でもしたかどうかを言っているもので、これも「いつ」を意識しません。
また、動作は今に続いていません。完了しています。
なので、線時制という考え方にも当てはまりません。
一方、線時制という考え方があるとするならば、現在完了を大きくUnfinishedに分類される、「結果」「継続」です。
これは動作もしくは状態が現在に繋がっているという意味で、線になっています。
ただ、強調したいのは、いずれも「いつ」を意識しないということです。
これが現在完了の特長です。
偉そうに現在完了を語っている私も、最初は「している」という状態が現在完了なのではないかと思っていました。
しかし、「状態」というのは現在完了だけでなく、現在形の状態動詞でも作れるもので、現在完了だけのものではなく、現在完了の継続の話でした。
また、この継続でも、意識は「いつ始まったかは覚えてないけど、それから一定期間続いていた」という時期を意識しているので、日本語訳は過去形になります。ですが、その状態は今も続いているということです。
このように、現在完了は「いつ」を意識しないという特長はあるけれども、一括りにすると問題があるということをぜひ認識して、それぞれが別の用法だと思ったほうがいいです。
ただし、日本人がやるような「完了」「経験」「継続」「結果」の4つに分けるのも危険です。
分けるなら、「完了」と「未完了」で、「完了」の中に今回お話しした「完了」「未完了時制」「経験」があり、「未完了」に「継続」「結果」(※結果は両方のニュアンスを含んでいる)があると考えるのが正しいです。
実際に英会話で使うときには、それぞれ違うシチュエーションで、違う気持ちで使うでしょう。
根拠(basis)を実際の会話から得ると、2つの大きな要素を掴むことになる。
ひとつは、英単語の音と、イメージ(動機、感情、物の画像など)が直接結びつくこと。
もうひとつは、英語の語順だ。
どの世界の言葉も、基本構造はこの二つで成り立っている。
たとえば、言語はそれぞれ、音が違う。物や動詞などのイメージや意味は、それぞれの言語の音と直接結びついている。
だから、言語を学ぶときには必ず覚えなくてはならない。
次に、語順のルールが違う。語圏で分けられるときに共通点はあるが、日本語と英語で考えると大きく違う。
だがルールはシンプルで、直感的だ。だから、言語のシンプルなルールを根拠にして覚えることで、話せるようになる。
シンプルな例で示してみよう。
目の前に黒い物体がある。クルマでも服でもなんでもいい。日本語で考えると、「それは黒だ」となる。
英語では
It’s black.
物について、「○○だ」と言いたいと思うことは世界中の誰にでもある。
英語においては、It’sのあとに言えばいい。
誰でも知っていることだけども、それが語順だ。
母国語として話すときには、it’sのあとに黒のイメージを頭に思い浮かべる。そのイメージとblackという音が結びついて、口に出す。
それを瞬時にやれるのが母国語だが、プロセスとしてはそうで、it’sのあとに黒という日本語を思い出して、黒という音からblackを導き出してはいけない。黒のイメージを頭に浮かべたとき、それは話したい、伝えたい、言いたいという動機があり、イメージがある。
ここではそれを感情とまとめているが、そういうものがまず必要となる。
もしテレパシーが使えれば、blackと口に出す必要もない。イメージを相手に送ればいいのだ。そうやって会話は成り立つ。
でも実際はできないから、そのイメージをblackという音に置き換える。それで本当に成立する。
音は、イメージを伝えるための記号のようなものだ。
そう考えると、動機がある時点でイメージがあり、違う言語を話す人たちが集まったとしても、共有できるものがある。
あるYoutubeでhave livedの使い方について、日本人の方とネイティブの方が議論していたが、ネイティブの方も話していてよくわからなくなるほど、英語や現在完了の「答え」は少し遠くにある。
でも、文法をしっかり勉強しているネイティブの人にとっては楽勝で、そういったネイティブの人たちが英語でいろいろとネット上に情報を残してくれているので、日本人としては本当に助かる。
ただ、感覚的に英語は使いたいのだから、あくまで感覚の話にしたい。
その感覚として使いたいのが、時制だ。
文法的な響きのある「時制」だけども、時制も感覚的なのだ。
たとえば、
「今、○○している」
というときに、「今」に込める感情。
それは、文字通り「今です!」という気持ちだ。
一方で、「3週間くらいしています」という時は、「3週間です!」という気持ちを込めている。
「今」とは明らかに違う。
「したことがあります」というときは、「いつかは覚えていないけど、1回か2回あります」という気分で話す。
この3つの違い、3つの気持ちの違いを使って話せば、過去形や現在完了を使い分けることができるのだ。
Youtubeで議論になっていた、
I’m living in Tokyo.
は、「今、」「今は」という気持ちのときに使う。
このnowがある限り、現在進行形のI’m liviningを使おうと思えばいい。
時が明確なときとも言える。
では、「3年間住んでいます」と言いたいとき。つまり、期間を言いたい気分のとき。
それは、
I live in Tokyo for three years.
もしくは
I’ve lived in Tokyo for three years.
で、これはどちらも「ずっと」という気分が入っている。期間の気分が入っている。
「住んだことがある」といいたい気分のとき。つまり、「いつ」は明確ではない経験のとき。
それは
I’ve (ever) lived in Tokyo.
これに期間を入れたりすると、文法的にはややこしくなる。
たとえば、「住んでいた」という過去形にすると、
I lived in Tokyo.
だけども、
I lived in Tokyo for three years. は継続的な意味合いでの「3年間住んでいた」という意味。
進行形なら
I was living in Tokyo when I was 19.
※時を明確にしているとき
ということで、それぞれ過去の意味合いになったが、
I’ve lived in Tokyo for three years. だと、今も住んでいることになり、過去のことにはならない。
しっかり単体で使わないと、経験の意味にならないのだ。
Youtubeでは「I’ve lived in Tokyo for three years. 」でもいいのではないかという意見が出てネイティブは困惑していたが、これはそのためだ。日本人の人は、経験用法を過去の出来事の表現として使おうとしている。そのため、「経験+期間」でもいいじゃないかと言っているが、英語は時制のニュアンスで話すので、それだと不自然になる。
経験を過去の話として捉えたり、使おうとしたりするのも違う。
経験はあくまで、「したことがある」というニュアンスだ。
どんなときも、過去形を使うときは、時が明確なとき。
明確じゃないときは現在完了。
文法的には、liveは「住む」というアクティブなニュアンスのある動作動詞として、
I’m living in Tokyo. を使う。
I live in Tokyo. は「住んでいる」という状態をあらわす動詞で、これに「ずっと」のニュアンスをもっと付け加えたくなると、
I’ve lived in Tokyo for three years.
となる。
そういうニュアンス、気分の使い分けもして使ってみたい。
学校で最初に現在完了を習うときに、「この時制ならこう」という法則を習っているはず。
それがまったくもって正しいのだ。
文法的にしか聞こえない法則だけども、それをニュアンスとして感覚的に使うのが母国語。
時に文法は正しすぎるほど正しく、感覚的なのだ。
映画『ユー・ガット・メール』のシーンを紹介しよう。
はじめてメールで知り合った女性とトム・ハンクスがカフェで待ち合わせをするシーン。
店に入る前に友人とどうするか相談していて、「長居はしない」と決める。
そして、「いつもそういってるよな!」と自分に言い聞かせるように言う。
I always said that, didn’t I?
こういう付加疑問詞も、数パターンを一緒に覚えるのではなく、この映画のシチュエーションで、音や抑揚と一緒に覚える。他のパターンは無視する。
すると、今後迷ったときに、このシーンを思い出す。
このとき彼が言ったこの言葉が、信頼する最上位の記憶になるのだ。
文法の本で読んだことや、先生に学んだことではなく、このシチュエーションがもっとも信頼できるもの。
母国語とはそういうものだ。
そして、実際にNYにあるカフェ・ラローに辿りつくトム。
OK. Cafe Lalo. This is it.
英英辞書で読むシリーズは、説明の仕方を上達させるために役立ち、一語一語順番に読んで解釈する練習にもなる。
大事なのは、二つの単語があった場合の繋がり。
Technology
Technology refers to
things which are
the result of scientific knowledge
being used for practical purposes.
言葉を説明するときに使われるrefer toは、日本語だと「以下の通り」「〜を意味する」というニュアンス。
things which are は、読むときにはまあいいけども、日本人が口語で使うとなると難しい。
refers toから考えると、「モノを意味する」ということだけども、最初にそう言い切るのが英語の語順。
ここは日本人にとっての難関。
「モノ」と先に言っておいて、which areと内容を述べるのだから、もうとにかくこの順番に慣れるしかないし、逃げてはいけない。
次は「科学的知識の結果」だけども、「実用的な目的のために使われる」という表現があとから来る。
ことごとく日本語と逆。
being used forはひとかたまりだが、その前後はしっかり感情で繋いでいく。
つまり、knowledgeとbeingに行く感情と、forとpracticalに行く感情をしっかりやること。
相手から、1パターンだけ受け取る
母国語として外国語を習得するのに、もっとも大事なのは物まね能力だと何度も書いてきた。
発音をそのまま真似するだけではなく、感情的なもの、つまり抑揚や声色も含めての真似だ。
そういった抑揚、話し方をまるごと真似することが大事だが、なぜそれが大事なのかをすぐには理解できないはずだ。
英語ネイティブの話し方は千差万別、トーンも抑揚もことごとく違う。それなのに、たまたま目の前にいるネイティブや、動画で話している人の抑揚まで真似する必要があるのか。
答えは、ある。
母国語での初期習得時は、母親や父親から話しかけられるが、そのトーンや抑揚を真似し、現場の状況から意味を推測していく。
そして、その内容をそのまま真似する。
This is a car.
と、おもちゃの車を指さして母親が言った場合、まず子どもはそのまま真似をする。応用という考えはない。
だから最初は、This is a という文がcarのためだけに用意されているかのように、This is a car. を覚える。
抑揚、イントネーション、アクセント、すべて含めて覚える。
その情報量は大きく、次におもちゃの車を見たときに、全部を真似して、This is a car. と言う。
ジュジュイジュアカー
みたいな赤ちゃん言葉になっているかもしれない。
そうやって、シチュエーションごとに1つ、一人の人間から一つずつ言い方をまるごと覚えていく。
I can do it if you want.
生まれた娘と0歳から英語で話しかけていると、娘が日本語より先に英語を話し出した。
それが6、7年前。
ずっと英語を勉強していた日本人の父親として、どんどん話せるようになる姿が不思議で、そのころの動画を観るといつでも感動できる。
クセのない、素直でシンプルな英語を使いこなし、感情的に直感的に言語を使う。
Youtubeのアニメからもどんどん単語を覚えて、教えてないのに勝手に覚えていく。
「両親が日本人では難しい」という意見は今よりもずっと強く、困難な時代ではあったとは思うけれども、その後も英語のプリスクールでしっかり英語体験もして、逞しく育っている。
結局、「英語を教える」という勉強的なことは読み書きだけで、話すことに関しては「英語についての話をする」くらいで、真面目に文法などを「教える」ということは未だにしていない。
娘の英語習得の方法に驚きがあったので本にまとめ、それ以来、母国語として言語を覚える方法を模索しているが、それは文法や発音の勉強を何十年も真面目にしてきた上での反省からだ。
知らないことを覚えるのは楽しい。
だから英語の勉強は楽しい。
今も文法の勉強は楽しい。知識は増えていく。
もしかしたら、そういった知識で英語マウントを取る人もいるかもしれない。
だけども、母国語として話せるようになることと、英語の知識を増やしていくこととは、やはり違う。
今Youtubeには多くの英語講師が英語について解説していたり、発音について指導しているが、どれも「第二外国語としての知識」の範疇を超えていない。
例えば発音ではシュワサウンドや異なる母音などが出てきたりするが、子どもはそんなこと勉強しない。聞いた音をそのまま真似するだけで、どこが伸びてどこに力を入れるかというだけだ。
私が中学のころ、最初にローマ字をやらされた。
アルファベットでどうやって日本語を表現するかというもの。
どうしてこれを最初にやるのか、未だにわからない。
これによって結局、英単語を読むときにあいうえお、かきくけこになってしまうはずだ。
娘には小さいころに一度伝えたことがあるが、やはり意味がないと思ってやめた。
英単語のスペルには完璧な規則性がなく、漢字を読む感覚に実は近い。
ローマ字読みをしないおかげで、娘は単語を知っている音優先で読んでくれる。
スペルはそのヒントでしかない。
シュワがここにあります、この単語はこの母音を使います…という知識の入れ方はまったくその逆で、覚えるには相当の努力が必要となる。「第二外国語」としての知識なのだ。
そういったマウント用の知識を得たいのか、それとも母国語のように英語を身につけたいのか、それは本人の意思次第。
このサイトにいろいろ書いてあっても、それを手がかりに自分で考え、構築していかなくてはならない。
娘とジョークの動画を観ていたら、
Why didn’t the skeleton go to prom?(どうしてスケルトンはプロムに行かなかったの?)
というのが出てきた。
答えは、
Because he didn’t have the guts.
で、私は?となった。
娘はケラケラ笑っている。
意味を訊くと、まず日本語のガッツ、根性という意味がgutsにはあって、なんとなくわかる。
ちなみにプロムは学校主宰のダンスパーティで、好きな人を誘って行くのが通例。
彼は好きな人を誘う勇気がなかったのだ。
でもこれはジョークだから、もう一つ意味があるはず。
それは娘によると、「お腹がないから」とのこと。
gutsというのはお腹の中のことで、腸を意味するらしい。
それがないのがスケルトン。
普通に英語を勉強してきた私には腸という意味のガッツ、なんとなく過去に聞いたことがあるような気はしたけれども、わからなかった。娘はモンスター系のアニメが大好きだから、朝飯前だったのだろう…。