Classic! 目の前の人に言わないように。
ネイティブの人がたまに言う、 Classic! これを、娘(8才)がお風呂場で言ったので、 …
紅葉のころ。小学校からの帰り道、小学校2年の娘が、公園沿いの紅葉を見て言った。 Now t …
canとbe able toは主観と客観の違いだと勝手に解釈しているmothertongue.jp。
willとbe going toも同じだけども、もう一つ、mustとhave toにも同じ関係性がある。
You must do it.
と英語で言う場合、「それをやらなきゃ駄目だよ」という意味に、主観的な要素が入る。
つまり、話し手が「そう思っている」という感情が入る。
そう思っているのはとりあえず話し手で、別の人はそう思っていなかったりする。
一方、have toは客観的なので、状況的に「する必要がある」ということ。
「目的地に遅れそうだから、乗り換えたほうがいいですね」という客観的な判断だ。
状況から判断を下す場合。
mustは主観的なので、「もしやらないとやばいよ」という懲罰的感情もある。
「目的地に遅れそうだから、乗り換えたほうがいいですね」はもっと優しいし、優しさから情報を伝えているだけだ。必要性、義務などの意味を持つ。
上から目線のmustは今後、対等な世の中になるにつれ、廃れていく。わけではない。
「それ絶対したほうがいいよ!」というポジティブな意見でも使えるからだ。
ただし、主観と客観でいつも問題になるのが、否定形との関係。
日本語から現在完了の文を作るのは少々厄介だが、もう少しやってみよう。
現在完了の「完了」の未完了時制を読み特く鍵は、今(今日、今年など)を含む時制かどうか。では、「最近」と言いたいときに現在完了のどれを使うか、迷ってしまうかもしれない。
「最近ゲームしてないね」
と言いたいときはどうだろう。
普通に現在完了で作ると、
We haven’t played games lately.
となる。
「最近ゲームしてないね」というシチュエーションを考えてみる。シチュエーションごとだから、シチュエーションこそが大事。そして、日本語には同じ言い方でも異なるシチュエーション、意味合いを持つ場合がある。
たとえば、「最近ずっとゲームしてないね」と言いたかった場合。もう一つは、「最近まだゲームしてないね」と言いたかった場合。どちらも、「最近ゲームしてないね」で済ませてしまったりする。
この「ずっと」「まだ」がヒントになって、使い方を分けられる。
「ずっと」なら継続、「まだ」なら未完了時制だ。
※latelyは完了の完了用法で問題ないですが、継続でも使えます。
継続の場合、playは「遊ぶ」という動作動詞でなので、継続にするには、あくまで基本的に、現在完了進行形にする。
We have been playing games.
「ずっとゲームをしている」
現在完了進行形にするならやはり期間が重要になるので、「1年間、ずっとゲームをしている」と、期間が入るとすっきりする。
というわけで、「ずっと」なら
We haven’t been playing games lately.
が正しい英文となる。
「最近ゲームしてないね」という日本語が、「今月は(まだ)ゲームしていないね」という意味だった場合はどうだろう。
シュワーについての説明で、文全体にも短く読む場所と伸ばして読む場所があると書いた。
短く速く読む場所と、伸ばす場所がある。
たいしたことがなさそうだけれども、そうでもないかもしれない。
問題は、速く読む箇所だ。
そこはチャンクといって塊になるのだけれども、定型文なので何も考えずに言葉が出てくる。
たとえば、
You know what I’m saying?
というNY的なチャンクは、ユから最後のインまで、ほぼ何も考えない。
もうクセとか習慣になっていて、ばーっと言い切る。
簡単な例で言うと、
I wanna
だが、これは単純にwant toが合わさったということだけではない。
アワナ
という一つの塊、チャンクになり、「とりあえず言う」のだ。
次に動詞が来るが、まずチャンクとしてアワナを言う。
ここまでが短く、動詞からが長くなる(伸ばす)。
このリズムで聞いたり、話したりするのがネイティブのやり方だ。
同様に、
I’m going to
はアムガナだが、アムガナとゆっくり言うのではない。
アンガナを短く速く言う。
急いでいるわけではなく、英語の特長なのだ。
これがI will=I’llになっても同じで、短く オ と言うだけ。
It is イリズ
That ダリズ
という簡単なものも同様に短く言う。
完璧なネイティブ発音になりたいと思った場合に、日本人が乗り越えるべき壁は何か。
それは、圧倒的に母音。
カタカナ英語では「どこを伸ばすのか」と表現してきたが、伸ばした先はすべて母音。
溜めやストレスも、結局は母音の発音へと繋がっていく。
この母音のマスターなしで、ある程度、「英語の発音がいいね」と言われるまでになる。
ここで言う母音とは、単語の途中もしくは最後で、伸ばすときに出てくる母音のことだ。
それはアイウエオと、RとLだとおおまかに理解していい。
英語では、子音のあとの母音を、ただの母音にしない。
たとえば日本語だと、「かけじく」の母音は子音のあとに存在するだけで、単体で発音されない。
子音の力が強く、子音をはっきり言うことが「滑舌が良い」とされる。
だが、英語では子音のあとの母音自体を単体ではっきり発音する。
アメリカという単語は日本語では子音のあとの母音で強調する場所はない。
それが、英語になるとアメーリカになる。
このメーの伸ばす部分で、エを言っているのだ。
Whereだとウェアーという発音になるが、この最後の伸ばす場所でRをずっと発音している。
この発音をマスターするためには、とにかく最初はゆっくりおおげさに母音を発音すること。
そのうちそれにスピードがついてくる。
これは歌に似ている。
歌は子音だけを歌っていても歌にならない。
北風小僧の寒太郎なら、「きいたかあぜえ〜〜こおぞおおおのかあんたあろおー」と母音を美しく発音することで上手な歌になる。
だから子どもには「いたああええ〜」と母音だけで歌わせる練習をするといい。
英語も同じで、母音は母音で発音をしっかりする部分があるということだ。
さらに英語では子音だけもあるし、シュワーサウンドといって母音なのにはっきり言わない発音もあるので、細かく分析すると難しいが、伸ばす箇所ではっきり母音を言うという感覚で望むといい。
Who What Whyという英語的な語順をベーシックに捉えることは、リスニングでもスピーキングでも大きな武器となる。
だけども、今までも多く人が語順として考えていたのは、Whatの中身の部分だ。
You give it to me.
You give me that.
が一つの例となる。
目的語が動詞とダイレクトに繋がる場合の順序は、me that になる。ダイレクトのitと、前置詞を使うインダイレクト(to me)のものが並ぶと、ダイレクトが最初でインダイレクトが次に来る。
この違いは感覚で覚えるだけだけども、分析するとこういう説明になる。
次に、
I have a pen.
だと、「私はペンを持っています」なので、英語の語順にすると「私は 持っています ペンを」となる。
英語を話すときに、I haveという動機が先に出てくるということになり、絶対的な課題になる。
「ペンを持っている」というイメージを、have a penの順序で置いていけるかどうか。
これは、シンプルに考えると、「英語で相手に伝えるためには、この順序だから」と割り切るだけのことだ。
I want to do it.
I want you to do it.
も日本語とは違う語順になる。
「私は したい それを」「私は ほしい あなたに して それを」
という感じでめちゃくちゃだ。
さきほどの関係代名詞のように、日本語と違う語順で攻めてくるのが英語。
メールや本なら時間をかけて理解できるけれども、会話となるとそうはいかない。
ずっと机の上の勉強をしてきた人は、そういうリアルタイムな理解について逃げてきたはずだ。
たとえば、こんな例はどうだろう。
What’s even more beautiful about that is the products that are featured here in this space are both designed and manufactured right here in Australia.
会話ではこれを一気に言う。
休むとすれば、speceとareの間だ。
文法的に分解するとこうなる。
主語
What’s even more beautiful about that(これでよりもっと美しいのは、)
is = だ、です
となり、以下は再びSVCとなる。
主語
the products that are featured here in this space(このスペースで紹介されているプロダクトが)
are both designed and manufactured right here in Australia.(ここオーストラリアで同時に製造し、デザインされたこと)
主語が長く、本文中に二つあり、しかも主語の中に関係代名詞がありとなると、上から順番に聴いて訳すには感覚が必要になる。
文として読んで理解するのは比較的簡単だけども、リアルタイムで理解するには訓練が必要となる。
そのためにはこの文は最適かもしれない。
過去に副島隆彦という人が著書で「Love is.」は「愛がある」と訳す。と書いて、英語学習者はbe動詞に関する謎を深めてしまったかもしれないが、これはあくまで日本人の翻訳における課題だ。
日本人には課題だけども、ネイティブにはシンプルでしかない。訳す必要がないので、課題にもならない。
でも結局我々は日本人だから、謎は解いてしまおう。
まず、
Love is. をどうして「愛がある」と訳すのかというと、
There is love. 愛はある
Love is here. 愛はここにある
という言い方があるからで、副島さんいわく、
デカルトの「我れ思う。故に、我在り」は、
I think, therefore, I am.
で、まさにI am. は「我在り」「私は在る」となる。
でも、日本語の「在る」とか「在り」って、口語ではなかなか使わないし、違和感がある。
それに、be動詞には文法的にはイコールや叙述という使い方があるのだけれども、それとも合わない。
イコールや叙述の場合は日本語の「は」と同じイメージが理解しやすいし、ネイティブも「そうだ」と言う。
たとえば叙述の
Love is over.
は「愛は終わった」で、is は日本語の「は」と同じ感覚(係助詞)で、Loveを次に繋げる役目がある。イコールには日本語の「です」の役割もあるが、叙述にはない。
イコールの場合は、Love is emotion.「愛は感情です」という感じで、日本語にする場合は「です」がつく。
「です」は「だ」にも置き換えられる。
そこで、私のアイディアとして、「私は在る」「愛がある」を、「だ」に置き換えるのはどうだろう。
「私だ」「愛だ」
英語ではIt’s loveやIt’s me. でいいのだが、「私は存在する」という哲学的な意味合いを持たせる場合は、「私は私だ」という感じでいいような気がする。
「私は私です」でもいい。「私なのだ」でもいい。
I think, therefore, I am.
は、
あるYoutubeでhave livedの使い方について、日本人の方とネイティブの方が議論 …
ちょっと前のこと。
一緒にYoutubeを観ていて、そこに映っている人物に対して娘が
ブラッシュ
的なことを言った。
歯を磨くBrushのことかと思い、「???」という顔をしていると、
What? You don’t know (what) that means?
みたいに驚かれた。
何だろうと思っていると、頬のことを言っているらしい。
その人物は頬あたりが化粧かなにかでほんのり赤くなっている。
それを
Brush(磨く)ではなく、Blushと言っていたのだ。
恥ずかしくて頬が赤くなったり、化粧で赤くなっているのを
Blush
と言う。
顔を赤らめるという意味なので、転じて恥ずかしいという意味でも使われる。
I blushed for shame.
と言うと、「恥ずかしくて赤くなったよ」となる。
他に、
She blushed in embarrassment.
も同じ意味。
頬紅という化粧用語もBlush.
一応だけども、淡い赤色という意味なら不可算名詞。赤面という意味なら可算名詞(A blush)。
I like your blush.
っていうときは右と左にあってもsは付かない。
テーブルにある私のお茶を見て、
Can I sip?
と言った。
一瞬戸惑ったけども、「すする」のsipだと気づいた。
英語のsipは、「ちょっと飲む」という感じだ。
辞書では、
If you sip a drink, sip at a drink, or if you drink it in sips, you drink a small amount at a time.
とのこと。
「ちょっと飲んでいい?」と言いたいときに、たぶん使える…。
※娘はyoutube等からsipを知ったと思われる。
人狼ゲームをやっているときに、日本語で「パパはサスだ!」と娘が言った。
みんなで「サス????」となった。
娘は「サスって…えーと…誰かが怪しいときに、サス!っていうの」となったので、私が「サスピシアス?」と訊いた。
Suspicious(正しくはサスピシャス)
は「疑わしい」という意味。
すると、娘は思い出したらしく、
「Suspicion!(サスピション)」
と名詞に修正した。
どうして名詞に修正されたのかは謎だけども、Youtubeの動画などではよく悪党が紛れ込むような小芝居系があり、そこでよく「サス!」と言っているらしい。
名詞のSuspicionは日本語では「疑惑」「疑念」「疑い」というイメージ。
Suspiciousは、
They became suspicious of A.(彼らはAに懐疑的になった)
という使い方をする。
ゲームで疑わしい人を見つけたら「サス!」と言ってみよう。
※後日、英語のニュースを見てたら「サスペクト」という言葉が出てきた。容疑者という意味。これもあやしい。