世界の言語は音と語順で成り立っている 002
it’sの語順は前回説明したが、ネイティブの会話を良く聴くことで得られるシンプルな語順とは …
さきほどの関係代名詞のように、日本語と違う語順で攻めてくるのが英語。
メールや本なら時間をかけて理解できるけれども、会話となるとそうはいかない。
ずっと机の上の勉強をしてきた人は、そういうリアルタイムな理解について逃げてきたはずだ。
たとえば、こんな例はどうだろう。
What’s even more beautiful about that is the products that are featured here in this space are both designed and manufactured right here in Australia.
会話ではこれを一気に言う。
休むとすれば、speceとareの間だ。
文法的に分解するとこうなる。
主語
What’s even more beautiful about that(これでよりもっと美しいのは、)
is = だ、です
となり、以下は再びSVCとなる。
主語
the products that are featured here in this space(このスペースで紹介されているプロダクトが)
are both designed and manufactured right here in Australia.(ここオーストラリアで同時に製造し、デザインされたこと)
主語が長く、本文中に二つあり、しかも主語の中に関係代名詞がありとなると、上から順番に聴いて訳すには感覚が必要になる。
文として読んで理解するのは比較的簡単だけども、リアルタイムで理解するには訓練が必要となる。
そのためにはこの文は最適かもしれない。
過去に副島隆彦という人が著書で「Love is.」は「愛がある」と訳す。と書いて、英語学習者はbe動詞に関する謎を深めてしまったかもしれないが、これはあくまで日本人の翻訳における課題だ。
日本人には課題だけども、ネイティブにはシンプルでしかない。訳す必要がないので、課題にもならない。
でも結局我々は日本人だから、謎は解いてしまおう。
まず、
Love is. をどうして「愛がある」と訳すのかというと、
There is love. 愛はある
Love is here. 愛はここにある
という言い方があるからで、副島さんいわく、
デカルトの「我れ思う。故に、我在り」は、
I think, therefore, I am.
で、まさにI am. は「我在り」「私は在る」となる。
でも、日本語の「在る」とか「在り」って、口語ではなかなか使わないし、違和感がある。
それに、be動詞には文法的にはイコールや叙述という使い方があるのだけれども、それとも合わない。
イコールや叙述の場合は日本語の「は」と同じイメージが理解しやすいし、ネイティブも「そうだ」と言う。
たとえば叙述の
Love is over.
は「愛は終わった」で、is は日本語の「は」と同じ感覚(係助詞)で、Loveを次に繋げる役目がある。イコールには日本語の「です」の役割もあるが、叙述にはない。
イコールの場合は、Love is emotion.「愛は感情です」という感じで、日本語にする場合は「です」がつく。
「です」は「だ」にも置き換えられる。
そこで、私のアイディアとして、「私は在る」「愛がある」を、「だ」に置き換えるのはどうだろう。
「私だ」「愛だ」
英語ではIt’s loveやIt’s me. でいいのだが、「私は存在する」という哲学的な意味合いを持たせる場合は、「私は私だ」という感じでいいような気がする。
「私は私です」でもいい。「私なのだ」でもいい。
I think, therefore, I am.
は、
あるYoutubeでhave livedの使い方について、日本人の方とネイティブの方が議論 …
ちょっと前のこと。
一緒にYoutubeを観ていて、そこに映っている人物に対して娘が
ブラッシュ
的なことを言った。
歯を磨くBrushのことかと思い、「???」という顔をしていると、
What? You don’t know (what) that means?
みたいに驚かれた。
何だろうと思っていると、頬のことを言っているらしい。
その人物は頬あたりが化粧かなにかでほんのり赤くなっている。
それを
Brush(磨く)ではなく、Blushと言っていたのだ。
恥ずかしくて頬が赤くなったり、化粧で赤くなっているのを
Blush
と言う。
顔を赤らめるという意味なので、転じて恥ずかしいという意味でも使われる。
I blushed for shame.
と言うと、「恥ずかしくて赤くなったよ」となる。
他に、
She blushed in embarrassment.
も同じ意味。
頬紅という化粧用語もBlush.
一応だけども、淡い赤色という意味なら不可算名詞。赤面という意味なら可算名詞(A blush)。
I like your blush.
っていうときは右と左にあってもsは付かない。
テーブルにある私のお茶を見て、
Can I sip?
と言った。
一瞬戸惑ったけども、「すする」のsipだと気づいた。
英語のsipは、「ちょっと飲む」という感じだ。
辞書では、
If you sip a drink, sip at a drink, or if you drink it in sips, you drink a small amount at a time.
とのこと。
「ちょっと飲んでいい?」と言いたいときに、たぶん使える…。
※娘はyoutube等からsipを知ったと思われる。
人狼ゲームをやっているときに、日本語で「パパはサスだ!」と娘が言った。
みんなで「サス????」となった。
娘は「サスって…えーと…誰かが怪しいときに、サス!っていうの」となったので、私が「サスピシアス?」と訊いた。
Suspicious(正しくはサスピシャス)
は「疑わしい」という意味。
すると、娘は思い出したらしく、
「Suspicion!(サスピション)」
と名詞に修正した。
どうして名詞に修正されたのかは謎だけども、Youtubeの動画などではよく悪党が紛れ込むような小芝居系があり、そこでよく「サス!」と言っているらしい。
名詞のSuspicionは日本語では「疑惑」「疑念」「疑い」というイメージ。
Suspiciousは、
They became suspicious of A.(彼らはAに懐疑的になった)
という使い方をする。
ゲームで疑わしい人を見つけたら「サス!」と言ってみよう。
※後日、英語のニュースを見てたら「サスペクト」という言葉が出てきた。容疑者という意味。これもあやしい。
これは英語の語順を身につけるためのカテゴリ。
ゲームのように、ただ順番に聴いたり読んだりして、日本語の順番に置き換えずに終わらせるものだ。
今日は
River
比較的簡単な語順になっている。
A River is a large amount of fresh water flowing continuously in a long line across land, such as the Amazon or the Nile.
これを日本語に訳す前に、順番に読む。
A River is
a large amount of fresh water
flowing continuously
in a long line across land,
such as the Amazon or the Nile.
今回は日本語も使わない。
川の説明なのに、長いラインという言葉が後半に来るのが英語らしくて面白い。
最初に来ているものが大事だとすると、
a large amount of fresh water
が要するに川だと言うのだ。
ではamountとは何か、知っている人も多いとは思うが、辞書で調べてみよう。
An amount of something is how much of it you have, need, or get.
ということで、ここは日本語で言うと「量」になる。
「川」=「多くの量のフレッシュウォーター」、たしかにそうだけども、それだけだと説明が足りないので、
flowing以下が必要となる。
じゃあ海はどうなのかというと、試しに作ってみると
A sea is a large amount of salty water flowing continuously among continents.
というふうに、無理矢理同じ文型とflowingを使って作るとこうなる。
先に「○○は○○だ」と言ってしまう感覚には、慣れるしかない。
日本人としては、「川とは、土地の上を流れる水のことです」という感じで、水よりも先に「流れる」と言いたい。
もうそういう頭の構造になっている。
でも英語は違うのだ。
先に「水」と言う。
英語の語順には、慣れるしかない。
※『言葉を選ぶ「根拠」を変える』のマザータングバージョンです
小さな子どもが母国語を覚えるときに、当然、もう一つの言語と比較したりしない。
でも英語を学習中の大人は、すぐに「日本語だとなんて言うんだっけ?」となる。
日本人にとっての母国語として日本語を考えたときに、「そうだよね」とか「まあね」「いや別に」という言葉を外国語に置き換えたりはしない。日本語のままで完結する。
「こういう状況で、こう言いたいときに、こう言う」というのを把握していて、意味を考えたりもしない。
英語も同じで、
Not really.
と答えたときに、それが日本語だと何なのかとか、reallyの意味とかを考えたりしない。
状況や会話のパターンがあって、「そのときにはこれを使う」という方式が頭にあるから使う。
それは、日本語で書かれた英語の本から教わったものではなくて、「同じような状況で使っている人を見たことがある」という経験から来る。
理屈や文法ではなく、まるごと、「このときはこう」というシンプルな経験則から使うのだ。
発音もイントネーションも含めて、「見た」という経験がもっとも強い根拠となる。だから、それを文法的に否定されても、ちょっとやそっとじゃ譲れない。
そうやって母国語はできあがっていく。
推測の積み重ねだ。
経験と推測の分厚さが言語習得になり、話せる量になるので、日本語にどう訳すかという勉強ばかりしていても、一向に話せない。
根拠に欠けているからだ。
自信がない。
この圧倒的な違いに気づいて、目覚めて、取り組めるかどうか。
それが母国語として言語を習得する分かれ目となる。
まず初期に、短い言い方をまるごと覚える。その後は、応用(一語一語)があるが、ここでは触れない。
「推測だけで言語を習得するなんて馬鹿げてる」
わからない言葉があったら、すぐ調べて意味を知りたい。
そういう病気にかかっているなら、この章を読んで治療してもらいたい。
わからなくていいのだ。
たとえば英語で語る日常生活のYoutubeがあるとして、それがシンプルなものであれば、どんどん推測できる。
でも、ニュースのように画面に向かって語りかけるようなものだと、それが出来ない。
だからわからなくて当然。
スタートは、日常の会話から始まる。
英語には大きな語順でWho, What, How, Where, When, Whyというものがあり、この語順で理解していくのも必須となる。
次の文で見てみよう。
Indians along the Mississippi River raised crops, in addition to hunting buffalo and other animals. (「シンプルな英語で話すアメリカ史」より)
Indians along the Mississippi RiverがWhoで、
raised cropsがWhat。
語順的にはこれで終わりだが、文にはin addition toという前置詞以下がある。
そのままの順序で読むと、
「ミシシッピ川沿いのインディアンは、作物を育てた。バッファローや他のアニマルを刈るのに加えて」
となるので、一度訳すと日本語なら、「「ミシシッピ川沿いのインディアンは、バッファローや他のアニマルを刈るのに加えて作物を育てた」となるのがわかる。
でも、一語一語でやってはいけない。
もし
In addition to hunting buffalo and other animals, Indians along the Mississippi River raised crops.
としてくれれば日本語に近くていいのにと思うが、英語では英語の親しみやすい並べ方がある。
日本人としては、順番で読むとこんな感じになるときもある。
「ミシシッピ川沿いのインディアンは作物を育てた。加えて、バッファローや他の動物を刈った」
この構造の違いは本当に大きい。
口語ですらすらと、「AはBをした。○○に加えて」という順序で言えるのか。
結局、これもトレーニングするしかない。何度も使って、この順序に慣れ親しむのだ。
「○○は○○だった。しかし、○○は○○だった」という言い方をしたいときはbutを使うが、howeverも使う。
だけどもその場合、年号が先に来るときもある。
The American whaling industry provided oil for the lamps. By the late 1850s, however, whale oil was too expensive. (「シンプルな英語で読むアメリカ史」より)
「アメリカの捕鯨会社は、ランプためのオイルを供給していた」というのが最初の文で、次に「1850年の後半まで」というWhenが来る。
日本人としては、「1850年の後半まで」のあとに、「しかし」とか「しかしながら」は来ない。
でも英語は違う。
「1850年の後半までに、しかしながら、鯨のオイルはとても高価だった」と来る。
「アメリカの捕鯨会社は、ランプためのオイルを供給していた。1850年の後半まで、しかしながら、鯨のオイルはとても高価だった」という流れになり、違和感は凄い。
日本語なら、
「アメリカの捕鯨会社は、ランプためのオイルを供給していた。しかしながら、1850年の後半まで、鯨のオイルはとても高価だった」
という感じで、必ず「しかしながら」は文頭に来る。
一語一語で読むと、この違和感に慣れなくてはならない。翻訳なら日本語向けに順序を変えてすっきりするが、英語を英語の順番で読むときにはそうはいかない。
そして、これに慣れることが聴き取りの時に非常に役に立つ。リスニングのときに違和感を感じている暇はないのだ。
娘とジョークの動画を観ていたら、 Why didn’t the skeleto …
慣れてくると、アクセントだけに集中して聴くようになるかもしれません。
結果的には同じなので、それほど深く考える必要はありません。
この溜めの話を娘にすると、全部の単語をたっぷり溜めて話し出したので、「それだけ溜めるのは重要な言葉の前だけね」と注意しなくてはなりませんでした。
たしかに、文の中で大事な言葉以外は、かなりさらっと塊でスルーすることが多いです。
かといって、アクセントがないのかといえば、ある。
すべてに溜めを使って話すときもある。
この感覚はとにかく意識して聴くしかないですね。
長い単語が連なると、長い間アクセントがない場合があります。
たとえば
Youtubeでも映画でも、実際にネイティブを前にした会話でも、表情を見ていると「溜め」が分かるのでリスニングがしやすくなります。
なので、初心者にとって英語の電話は非常に難しいのです。
私自身、仕事上、国際電話を使う機会が多かったのですが、最初は心臓が飛び出るほど緊張しました。そして、相手が何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。
慣れてくると、表情を見なくても音から「溜め」が分かってきますが、赤んぼうや幼児は会話をする相手の顔をじーっと見るでしょう。そのおかげで、「溜め」がわかりやすくなります。