娘がオンライン英会話を始めた。
一週間ほど前から、娘用にオンライン英会話を始めた。 アメリカのネイティブやフィリピンの人々 …
何度もお伝えしている通り、娘は私から一度も聞いたことがない言葉を突然使い出す。
今日の学校帰りに言った言葉は、
Now that I think of it,
「考えてみればさあ、保育園のあの小さい子がもう多きくなって話せるようになってるはずだよね。会いたい!」
「考えてみると」という意味のこの言葉。もちろん知ってはいるけれども、使ったことはない。
どこから覚えたのか聞いてみると、チャド&ヴィーという大好きなYoutuberが使っていたらしい。
妻がくだらないので見せたくないと主張しているYoutuberである!
ネイティブが世界の人に向けて英語を教える場合に、たとえば
「neverthelessはこう使う」という感じで教えます。
もしくは、
cut it outは繋がって、カディダウという音になるとか、時にtはdの音になるとか。
こういったものは、文字や単語から勉強した人を相手にしているもの。
多くの非ネイティブがアルファベットから勉強を始めて、単語を覚えているからこその教え方です。
「cut it out は実際はこう読む」
的なことは、たとえばネイティブの3、4歳の子どもに教えることではありません。
この「覚える順番が逆現象」は世界中のイングリッシュラーナーの弊害になっています。
あらゆるところに蔓延し、誰もそれを問題視しません。
この文章に出会っただけでも、これがどういうことなのか、本質を考えてみてほしいです。
たとえば娘は、彼女が1、2歳のころから私の「カディダウ(やめて!)」を聞いて育っています。
なので、それを実際はcut it outと書くことをまだ知らないかもしれません。
「tがdに変わることがある」という法則的なことも知りません。
今は8歳になったので、「neverthelessっていう単語使える?」と聞いたら、
「使える使える。こうでしょ」と例を見せてくれます。
大人はeven thoughと使う場所が違うことに注目しますが、娘にとってはeven thoughはそれ、neverthelessはそれ、という感じです。
そもそも、「教える」とは何でしょうか?
教えるというのは、すでに上手くなった人が、「結果」を教えているような気がします。
エッセンシャル、本質を教えるのは、難しいのではないか。
本質は、自分で考え、見つけていくもの。
家では野球のボールの投げ方をずっと教えていますが、やはり「型」を教えることになってしまいます。
娘のフォームが違ったら、「違う、こう」という感じです。
「どうしてこのフォームなのか」という本質ではないような気がします。
コロナのせいにしていますが、娘はまだ習い事をしていません。
でも、まだなんとなく躊躇しています。
小学校1年生から3年生くらいまでは、やはり「教わる」のは苦手なのではないかと思っているからです。
教わるよりも、「一緒に生活しながら覚えていく」ことのほうがいいのではないかと。
この世代の子どもたちは、「なぜ」と日常のあらゆることを知りたがります。
「ドラゴン桜」で言っていたように、本質を知りたがります。
そして、親子の会話の中でいろんなことを学び、考えていくような気がします。
私がバイクの教習所で思ったのは、技術の結果を教えるというシステム。
そのとおりの型で走れば上手くいくのはわかるけれども、なぜなのかはわからずに卒業したりします。
大型免許だとバイクを持っている場合があるので、たっぷり一人で考え、実践する時間があっていいのですが、中型だとそれができません。
「これってどうしてだろうね」と一緒に考えるのが、学びであると仮定すると、英語も結果だけを学んでいくのはどうなのか、考え直さなくてはいけません。
このサイトでは子どもが母国語を学ぶように英語を学ぶことを主眼としていますが、たまに結果を出すこともあります。
結果のほうが、読む人のほうは楽しいはずです。答えなので。
答えのない、エッセンスを追究するほうは、文字にするのは難しい。
たとえば、リスニングでは
ネイティブになりきる=相手のすべてを物まねするように聴く
というのを何度も言っていますが、これの受け取り型は千差万別。
「こんなので上手くなるわけがない」と捉える人がいれば、「これはどういうことだろう? よくわからないが、自分で検証し、トライしてみよう」という人がいる。
バイクの中型免許は早くバイクに乗りたくて、詰め込み型にしがちですが、大型免許ならゆったりのんびりすべきです。
一回授業を受けたら、今度は家でじっくり考える。または実践する。
自分で考え、トライする時間が大事。
教習時間は12時間程度でも、それを20時間にも30時間にもすることができるのです。
英語では、話しかけられたり、誰かが話しているのを行動や表情とともに聞くことで、意味を推測していきます。
間違って解釈したとしても、いいのです。少しずつ修正していきます。
このステップから学ぶのが本質的な言語習得方法です。
それはたとえば、個室で会話することではありません。
実際の生活のシチュエーションですることです。
もしくは、映画やyoutubeなど。
まったくわからない音の洪水から始めるのが、母国語的な学ぶ順序で、考えながらトライしていくものです。
個人的な理解として、ネイザルサウンドや英語風の発音ができていないときは、舌が下がっている感覚があります。
日本語の状態だと思うのですが、舌は基本的に下がっていて、あまり使いません。
英語は、舌は歯で挟んだり、上あごに触ったり、アクティブに動きます。
なので、基本的に浮いていて、「てぃ」と発音するときのように、上あごを一瞬触るようなアクションを常にしているようなイメージです。
娘はどうなのかと考えて、今後注意してみてみたいと思います。
ところで、発音とスポーツにも音楽にも共通しているのは「溜め」だと思います。
クルマブランドJEEPが先ほど公開した動画の英語から、
When it comes to
という言葉を読み解きたいと思います。
この映像で語られている英語は以下の通りです。
The thing about freedom is…freedom has no limits.
There’s no such thing as too many adventures…
or too many unforgettable moments.
There will never be too many stories to white…
or too many memories to make.
but when it comes to a vehicle that will be there for it all…
There’s only one. Jeep.
上から訳すと、
自由というものは、自由には、限界がない
多すぎる冒険、多すぎる忘れがたい瞬間、なんてものはない
書くのに多すぎる物語など、作るのに多すぎる思い出など、これからも永遠にない
でも、それらすべてのためにそこにいてくれるクルマとなると、
たった一つだけ。
ジープ。
ということで、「遊び」に限界はなく、その相棒はいつもJEEP、そんな感じです。
訳に出てきましたが、
When it comes to
は、
「となると」「といえば」
がしっくり来ます。
「〜に関しては」もWhen it comes toの訳として紹介しれているので、それぞれあてはめると、
でも、それらすべてのためにそこにいてくれるクルマに関しては、
という感じ。
「関しては」の訳だと硬すぎる感じがします。
ということで、
When it comes to
は「といえば」「となると」の2択。
そうして、それぞれの言葉が感情の発露だとなんとなく気づいてきたら、This isという言葉さえ感情だと思えるようになります。
This isとOMG(オーエムジー、オーマイガッ)が同じだということです。
ということは、独り言でThis is! と言っていてもいいということですし、目の前にある物体の名詞を叫んでも口にしても自由ということです。
Chair! Brown!
でもいいのです。
Continue reading 言語は感情 005 聴くも話すも、一語一語が感情の発露。おはようございます。そして明けましておめでとうございます。みなさまの初夢はどんな感じだったでしょうか?
今日も私の夢の中は感情に溢れ、日常生活よりもドラマチックでした。
ところで、動物も夢を見ます。その夢の中は感情で溢れているのでしょうか?
動物が持っている感情を考えると、楽しいとか嬉しいよりも、怖い、という感情があるように思えます。
現実世界では、そのときに動物は吠えたりしますが、それ以外の部分では声をなかなか出しません。嬉しい、楽しい、悲しい…。
人間は、嬉しい、楽しい、悲しいについて、声を出します。嬉しいときは「ヤッター!」、楽しいときは「ヤッホー!」、悲しいときは「あー」みたいな声を。
この動物との違いが、まさに言語を話す人間と動物の違いかもしれません。