would could 仮定と推量をはっきり分けられますか? 001 (公開)
現実に起こること、起こったことでwouldを使うというのを知らない人が多いのは、仮定法だけ …
Back in the day when there were merely parents, as opposed to people who were engaged in parenting, being a parent was fairly straightforward.
この文はどうでしょうか。
カンマが連続して続きますが、その場合の理解を把握する必要があります。
Back in the day when there were merely parents
は、
親だけがいた時代に戻ると
です。
問題は
as opposed to people who were engaged in parenting
ですが、
子育てに従事していた人々とは対照的に(の代わりに、反対に)
で、
as opposed to
は「~とは対照的に」「~の代わりに」と訳します。
「~ではなく~」とも訳せます。
この場合は
A as opposed to B
で、「BではなくA」となり、カンマは入りません。
カンマが入るパターンを見てみましょう。
As opposed to going there, I stayed here.
そこに行くかわりに、俺はここにいた。
英語のパターンとして、
A ~ B
が通常の場合、
~B, A
になると、日本語と同じ順序になります。
その場合、
as opposed to people who were engaged in parenting,
がB
being a parent was fairly straightforward.
がA
と考えることができます。
being a parent was fairly straightforward.
親になることはかなり単純でした。
なので、
子育てに従事していた人ではなく(とは反対に)、親になることはかなり単純でした。
日本語訳としてまとめると、
親だけがいた時代に戻ると、子育てに従事していた人という意味ではなく、親になることは非常に簡単でした。
となります。
一つの言葉に集中し、それを引きずって次にいくのがどこの国の言語もしていることです。
前の言葉を忘れてしまっては、理解はできません。
単語から次の単語へはもちろん、文節から文節へも同様です。
口語ではこれができないとリズムが合わないし、文語では文章が長くなるので、これができないと読解に時間がかかります。
後ろから日本語に訳してからすっきりする、我々日本人にとっては難関です。
これを考えるための文章の例を、ノーラ・エフロンのエッセイから紹介します。
For now, I’m concentrating only on the routine, everyday things required just to keep you from looking like someone who no longer cares.
上から考えると、
とりあえず、
私は集中している
そのルーティンにだけ
毎日の事は
要求する
ただ
キープする
あなたを
みえることから
だれかのように
だれももう気にしない
となりますが、これくらい長い文章だと、前の言葉の意味をホールドしたまま次にフックをかけていくというやり方は、訓練なしではできません。
11歳になる娘ですが、たとえばポケモンバイオレットは英語でやっていて、英語の本もまぁまぁ読めます。
でも、モチベーションとして英語の本を読むというのは希薄。
そして、スペルは全然勉強しません。
さすがにスペルは、勉強しないと身につかない。
それをイヤイヤで拒否してきたのです。
「しゃべれるし、読めるんだからいいか」とは思ってきたものの、できればそろそろスペルは覚えてほしいと、昼間に苦情を言ったところ、夜になって「一緒にポケモンバイオレットやろう」と言い出して、ゲームをしながら英語でゲームの説明をはじめて、マシンガンのように英語トークをはじめました。
たぶん、「どうだすごいだろう」と自分の英語力を見せつけたかったのだろうけど、私はシラケムード。
「読めるのと書けるのは違うんだよなぁ」と心で思っていました。
ちゃんとした英語学習の塾に行ったことがないし、スペルから始める子よりは明らかにスロウモード。
でも、中学から始めた私がスペルはまぁまぁできるのだから、これから学校で学ぶのだろうか。と思ったり。
アメリカでも書くことのできない子は一定数いて、いろいろ対策を練っているのですが、たしかに英語って、フランスとかが混じったせいでスペルに一貫性がない。
耳から覚えた人にとって、「なんでだよ!」的な読み方をするものが多いのかもしれません。
スペルから入る学習者のほうが、素直にスペルを覚えられたりして。
前回、過去の推測をやりましたが、単純に現在完了を過去にすればいいのでは?
と思うかもしれません。
ですが、現在完了を過去にするのは、やはり時間の特定になります。
Do you think he’d lost a lot of money?
「彼はたくさんのお金を失っていたと思うか?」
です。
he had lost ~
は現在完了ですね。
ある部屋にシャーロックが侵入すると、ある銀行マンがベッドで死んでいました。
自殺が疑われます。
そこで、
「彼はたくさんのお金を失っていたと思うか?」
と言うわけです。
ワトソンにたずねているわけですが、まず、「~と思うか?」と現在形でききます。
そして、その後半
「彼はたくさんのお金を失っていたと」
と説明するのですが、「お金を失った」のはいつか、意識していません。
なので、まず現在完了になります。
もし彼が生きていたら、hadはhaveになります。
ですが、自殺してしまったので、hadになります。
生きている最後の瞬間、時点を意識しています。
アメリカなら、
Do you think he lost ~
でもいいのですが、日本語訳は
「彼はたくさんのお金を失ったと思うか?」
となります。
「失っていた」と「失った」では、時間の意識がだいぶ違います。
「失った」は、お金を失った瞬間。
「失っていた」は、自殺したときまでに、失っていたかどうか。
こういう表現の違いをイギリス人は絶対に間違いません。
He’d been threatened.
「彼は脅されていた」
というセリフも出てきますが、こちらも脅された時点を意識していませんが、自殺するまでにすでに脅されていたという意味です。
一方、ある会長のところに警察が来たという報告を電話で受けた人が、
「警察が来たらしいよ」
と言います。
これは、来た時間を意識していないので、イギリスでは絶対的に現在完了です。
しかも、会長は生きているので、
もう一つ、時制を意識しないものに、仮定法があります。
If you had this book, you could have fun more.
「もし君がこの本を持っていたら、もっと楽しめるだろうな」
現実は本を持っていないので、別の世界線を想像しています。
その世界では、「いつ」の意識がありません。
過去だとはっきり言いたいときは過去完了を使いますが、過去形の場合は過去だろうが今だろうが、未来だろうが関係ないのです。
「君が本を持っている状態」に、時間の意識はないのです。
同様にcouldにも時間の意識がありません。
tomorrowとかin the futureといった時間に関する言葉をつけることで、時間を意識させることはできます。
仮定法の後半部分、
自動詞の考え方としては、「主語だけに関係し、他に影響を与えない」とも定義できます。
I stand.
you stand.
どちらも、主語が「立つ」だけで、そもそも意味的に次に何かを置こうと思わないので、自然と自動詞的な使い方になると考えることもできます。
最初から次の目的語が必要な意味の動詞なら、そもそも次を言いたくなるというわけです。
隣り合う文字同士が強力に結びついているとしたら、その結びつきは自動詞なら主語と動詞が強く、他動詞なら動詞と目的語が強くなります。
とはいえ、そう簡単にもいきません。
discuss
は「議論する」ですが、意味的に自動詞か他動詞か判断できるでしょうか。
私は議論する。
でも成立しそうです。
でも、discussは他動詞。
「を議論する」という意味になり、「を」が含まれていると考えるのが良さそうです。
discussという言葉自体に、右に続く矢印をイメージして、主語と動詞よりも、動詞と目的語の繋がりを強く感じるといいでしょう。
後ろから前に修飾する関係副詞のwhereとwhen。
時に関する名詞のあとならば、whenを使って繋ぐのが普通だと考えられるのに、実際にはwhereが使われていることがあります。
I was sitting on the terrace all morning, but of course there were plenty of moments where I suppose I could have gone after Macarthur without anybody noticing.
(「そして誰もいなくなった」アガサ・クリスティより)
訳は、
「私は朝の間ずっとテラスに座っていたが、もちろん、誰にも気づかれずに、マッカーサーのあとを追うことができる時間はたくさんあったと私は思う」
という感じになると思います。
I supposeは省略するとして、
My fate’s in the hands of a four-year-old who has seven other imaginary friends.
(映画『恋人はゴースト』より)
英語のリスニングで問題になるのは、ここで何度か紹介してきたとおり、リンキングによって単語が分解されて消えてしまうからです。
母音を中心に話す言葉なので、この分解現象が起こってしまいます。
たとえば、
My fete’s in the
は、マイフェイツィナとなります。
inのインという音が消えます。
sとiが結びついてさらに前のtと結びついてツィという音になり、inの後半のnがtheと結びついてナという音になります。
hands of a
は、ハンズオブアではなく、ハンザバになります。
オブという音が消えるのです。
ハンズ・アバでもなく、ハンザバ(ヘンザバ)です。
ズがザになるのです。
これがリスニングで音だけで聴くと難しくなる原因です。
ハンズオブアならいいのですが、ハンザバだと違う単語に聴こえてしまうからです。
ハセヴナダー
はどの部分でしょう?
英語の本や小説を読んでいて、いつもいまいちしっくり入ってこないと思っている方は、この章を理解すればかなり読解力が進むと思います。
どうして英語の文がわかりづらいのか。
それにはしっかりとした理由があります。
ズバリ、接続詞と関係副詞、関係代名詞の関係性です。
たとえば、whenやbutは文法の基本として最初に学んでいるはずですが、文章を読んでいて時々「, when」の訳し方に疑問を感じることはないでしょうか?
カンマのあとに空白、そしてwhenの文です。
一方、カンマがない文には、英語学習者にとって違和感ありません。
I did it when I had seen it.
それをみたときにそれをやりました。
英語の正しい順序としてはこのようにwhenが真ん中に来るかたちです。
これは接続詞のwhenになります。
倒置した場合は、
When I had seen it, I did it.
となります。
日本語に訳すときは、カンマがないときは後ろから訳し、倒置されたときは同じ順に訳します。
それでは、例の「, ➕when」を見てみましょう。
アガサ・クリスティー「And then none were there」からです。
I was speaking with a doctor friend of mine, when he mentioned how many murders must happen that the law cannot touch.
倒置していないのにカンマがついています。そして、訳はこんな感じになります。
「私が友人の医師と話しているとき、彼は法律でタッチできない殺人がどれだけあるのだろうと語っていた」
この「私が友人の医師と話しているとき」が変だなと思いませんか?
「法律でタッチできない殺人がどれだけあるのだろうと語っていたとき」ではないの? となりませんか。
接続詞の
When I had seen it
のときは、「それを見たとき」と訳すのに、前の文に「~とき」と訳すのはなぜでしょう?
まさにここが英文を難しくしている部分で、もやもやしている部分ではないでしょうか?
ここらへんがクリアになってくると、一気に英文は読みやすくなります。
まず、このカンマを伴うwhenは、接続詞ではありません。
英語を話すときは「気持ちよさ」「遊び心」があります。
この気持ちよさを知ると、どんどん英語を言いたくなります。
たとえば、
Open up
と言うときに、連続で
Open up! Open up! Open up!
と言うとします。
すると、
オペナッオペナッオペナ
という音になり、ペナッという音が楽しかったりします。
Put it onも
プリロン
の響きが楽しいです。
そうやって、チャンク化すると言って楽しい言葉がいくつかあり、それを使うときは何か楽しい感じがします。
「なんだっけ?」
の
ワッチャマコーリッ
はスペルも知りません。
ワラディオーッズもよく使いますが、「なんて偶然だ」という意味で、あまりスペルは意識しません。
たぶん