Because If I kill him, I would be so sad. スターウォーズのお芝居
二人でスターウォーズの遊びをしていて、娘がダース・ベイダー、私がボスになった。 彼女はスタ …
二人でスターウォーズの遊びをしていて、娘がダース・ベイダー、私がボスになった。 彼女はスタ …
6月20日 4歳
娘が風邪をひいて、朝起きると濁声だった。
それが楽しいらしく、朝食を前に何かしゃべっている。
娘 OK. It’s changed a little bit. ちょっと変わっちゃった
父 Why? どうして?
娘 My voice always changes. 私の声はいつも変わるんだよね
父 How’s that? 朝食はどう?
娘 I didn’t eat it yet. Actually. OK. That’s enough pictures. まだ食べてないよ。実際。オケ、動画はもういいでしょ。
changeという単語について過去分詞と現在形を使いこなしているところは、あらためて不思議な気持ちになる。
幸いなことに、「過去の場合はchangedで、現在はchangeだよ。もし三人称単数だったらsをつけるんだよ」などと解説したことも教えたこともない。
日本人の私たちは、英語ネイティブの子どもがどうやって英語を覚えると考えているだろうか。
親が「過去の場合はchangedで、現在はchangeだよ。もし三人称単数だったらsをつけるんだよ」と小さいころに教えていると思うだろうか。
私は知らないが、日本人の子どもで自然に覚えるのだから、ネイティブの家庭でやっているとは思えない。
世間にある「子ども英語教室」の内容は知らないので何も言えないが、言葉を覚えるというのは、教育なのだろうかと考えてしまう。
教室で覚えるものなのだろうか。
ちなみに、That’s enough. は私もよく使うが、That’s enough + 名詞 という使い方があるのを恥ずかしながら知らなかった。
Pictures are enough. では駄目らしい。
実際の音声はこちら
西之島が噴火したという日本語のニュースを観ていて、娘が
Volcano! Has it erupted?
と聞いてきた。
私は「噴火」がEruptionであることは知っていたが、「噴火する」という動詞をあまり知らなかった。
だから当然、過去形も過去分詞も知らない。
調べてみた。
Eruptの過去形・過去分詞はErupted。
つまり、噴火したの? は、
Did it erupt?
になる。
また、(ちょっと前から)噴火しているの? なら
Has it erupted?
eruptedの過去形を使えるなんて凄いなと思い、もう一度なんて言ったのか訊いてみたら、
Did the volcano erupted? (正しくはerupt)
Eruptedに関して娘がどう考えているのかさっぱりわからないが、自然と使うところはあらためて不思議だ。
何かのアニメで観たのだと思う。
Memo
噴火している It’s erupting.
噴火する Burst into eruption
3月20日 絵本を暗記する
最近の読み聞かせは『ねむりひめ』と『花さき山』。
『ねむりひめ』は日本語版を私が英語で読み、『花さき山』は英語版。でも、付属の音声CDがあり、娘はそれが好きで私に一切読ませてくれない。
この日はどうしても読ませて欲しいと懇願して、やっと読んだ。
すると、evil(悪魔)の発音が違うと笑われる。
娘に発音を修正されていると、もしかしてもう、この話を覚えているのかなと思い、最初から読んでみて(文字は読めない)
と頼んでみた。
すると。
冒頭からすらすらと物語を正確に読み出した。
といっても正確なのは3行くらいで、あとは飛ばしたりあやふやになってきたが、3行でもなかなかの文量。
今までもこういった歌の歌詞を覚えていた的なことで私は親ばかに驚いているが、今回はそれ以上に衝撃だった。
その文の英語自体は簡単で、もしかしたら歌よりも簡単。
でも、覚えてしまうところが大人と違う…。
私は何度も聴いているのに、読まずに暗唱はできない。
私はますます、「文字を知らないこと」「文字で覚えないこと」によって生まれる、「音だけで覚える」能力について興味が増した。
子どもが言語を覚えるのが得意なのは、まさにこの部分なのだと。
『花さき山』の冒頭の台詞を娘が覚えていたことはお伝えしていたが、試しにその続きも読んで(字は読めないの暗記)もらったら、最後まで読んでくれた。
音で覚えているので、ところどころ抜けたりする。
この量をどうやって覚えているのか。
買ってから一ヶ月ほど、CD音声と私で読み聞かせしていただけで、練習的なものは一切していない。
「子どもは大人よりも言語の習得が得意」という現象に対して、ますます興味深い事象が私の実生活で起こっています。
今、ベッドタイムストーリーとして『ねむりひめ』と『花さき山』を中心にしているのですが、『花さき山』は英語版で、音声CDも付いています。それをiPhoneに落として聴かせたら娘が気に入ったようで、私が「読ませて」と言っても、「嫌だ」と断固拒否。
一週間ほどそれが続いて、どうしても読みたいので再び懇願すると、「いいよ」と言ってくれました…。
やっぱり絵本は自分で読みたいじゃないか…それが親心。
さて、と意気揚々、私は読み始めました。
すると、途中で「違うよー」と笑いだす。
It’s not “evil”. It’s like “eval”.(イービルじゃないよイヴァルだよ)
evilという単語の発音について、私に指摘するのです。
もう最近はこんなことがよくあるので、素直に娘の発音指導を受けます。娘が言うとおりに発音すると、
That’s right!
と「認可」を頂くのです。
そういった指摘や、文章の細かい部分で何か指摘するので、「もしかしたら文章を覚えているでは?」と思い、「読んでみて」と提案してみました。
前に別の絵本で冒頭の英語を覚えていたから、少しは覚えているのかもと思ったからです。
すると、娘はすらすらと冒頭の3行文くらいを暗唱しだしました。
2月5日 I’m having trouble.
娘が椅子に座っている。
体をもごもご動かして言った。
I’m having trouble.(困っている)
訴えるような目で見ている。見てみると、椅子のパッドがずれている。
困った状況にいることを、I’m having trouble. と言ったのだ。
なぜだかわからないけど、私の中にない言い回し。
トラブルという言葉に日本語的なトラブルというイメージを抱いているからか。
それとも、そのイメージの方が正しいのか。
椅子のパッドがずれたくらいで、トラブルなんて言葉を使うべきでないのか。
わからない!
1月25日(水)Please, stay inside. There is a Drago …
1月12日(木)Mammy will be happy if you are not angry.
ベッドタイムストーリーを聞かせている途中で、娘が突然言い出した。
Mammy will be happy if you are not angry. もしパパが怒らなかったらマミーは幸せになるね。
誤解が無いように言っておくと、私がすごく妻に怒っていたり、その日に怒っていたわけではない。
このあともifを使っていろいろなことを言い出して、単にifを言いたかっただけなんだと思う。
Ifを使った言い回しをペラペラと言うのは初めて。
1月4日 3歳8ヶ月 I’m getting tired.
狭山湖の近くに六道山公園という広大なフィールドがあり、そこで一日遊んだ。
山中を散歩して帰り道、疲れた様子で
I’m getting tired. Your legs, too? (疲れてきた。パパの足も?)
と娘が言った。
普段はよくI’m tired. (疲れた)と彼女は言うけど、それをI’m getting tired. (疲れてきた)と勝手に応用してきた。
私はそういう言い方はしないので、彼女なりの使い方だと思う。
さらに、家の近くの駐車場に着いて、その帰り道。夕方で寒かったので、私が寒いなぁと言うと、娘は私の顔を手で温めて、
I’m warming you up!
と言う。
ネイティブではない私はそういう言い方を聞いたこともないし、言ったこともないけど、さすがにもうそれを疑ったりしない。娘がどこかから覚えたものかもしれないし、応用したことかもしれない。
私自身も二人の間では自由に応用して言い合っているので、これでいい。
私は本に「言いたいことを言うべき」と書いたのは、自分で正しい英文を用意して言ったり、娘に新しい言い方を教えようと思って言ったりするべきではないということ。
なのに、気づくとそういう気分になっているときがある。
ふと気づいて、また「言いたいことを言うためにとにかく言葉を出す」という気分に変えていく。
次の言葉をただ考える感じだ。
山を歩いていて、いろんなものを一緒に見ながら、いろんなものの説明を娘にした。
そんなときは英語でも親子らしい会話になる。
12月27日 3歳8ヶ月 How could I eat?
夜になってチョコレートが食べたいというので、「駄目」と返した。
すると手を広げて、
How could I eat?
と返してきた。
「じゃあ何を食べればいいの!」「他に食べるものがないじゃない!」
ということを言いたかったようで、抗議の意味が強い。
そのジェスチャーも言い方も初めてだったので、思わず吹き出してしまった。
大人だと、どうしてもWhat could I eat? What can I eat? じゃないかとか、How can I eat? (could が丁寧すぎる)じゃないかとかいろいろ考えてしまいそう。
How could I eat? を直訳すると「どんなふうに食べればいいのですか?」なので、目の前に食べ物があるときはそんなふうに使える。
でも、状況的に今夜のような場合は、How could I do? で「じゃあいったいどうすればいいの(いいのですか)!」という感じがあるので、「じゃあ何を食べればいいの!」という意味に私には聞こえた。
彼女としても自然と作り上げてそういう言い方になったのだと思う。