未知の発音「ダークL」の真実 世界各国で理解されない「口をすぼめない」発音
娘が1歳のころ、ある本についていた発音を真似して I will と言ったとき、何か自分のI …
ビートたけしが先日番組で行っていたのは、「母国語」の考え方に似ていた。
「仕事ばかりしていて大変ですね」という問いに、「金魚に『泳ぐの大変ですね』なんて言わないだろ」。
つまり、「お笑い」の仕事は好きでやっているのであり、それはあまりに当たり前のことで、大変な仕事をしているような感覚などないのだという意味。
金魚は水泳を必死に覚えて、今も必死なわけではなく、我々が息をして歩くように泳いでいる。
母国語イングリッシュはまさにこれだと思う。
生まれてから母国語を覚えるというのは、金魚が泳ぎを覚えるのとよく似ている。
もっとミルクを欲しいから、「モア」という響きを覚え、使う。
自分が生きるために伝えたいことがあるから、「アイムハングリー」と言う。
It doesn’t make me feel like a cat.
と淀みなく娘が言う。
「このジュースを飲むと猫になってしまう」という遊びをしていて、私は猫になったのだが、娘がそのジュース(架空)を飲むと、
It doesn’t make me feel like a cat.(猫のような感じにはならないなぁ)
と言ったのだ。
私のような、日本語をしっかり学んだあとで英語を学んだ日本人にとって、文章としてはとても基本的なこういう文章を、反射的に言うのはそれほど簡単ではない。
It doesn’t
だって、初歩中の初歩なのに、久しぶりに英語を学んだりする人には使い方を思い出せなかったりするはずだ。
そういう言い回しを、4歳の娘がさらっと言う。
It don’t make とは間違えない。
くどいけど、私がit doesn’t make と言うのだと、教えたことは一度もない。
私のまわりにも、年配の人は幼児に対する英語教育に反対する人は多い。
それも、結構猛烈に反対してくる。
母国語の日本語が駄目になる。というのが理由だ。
母国語の日本語で思考する能力が衰えるというもの。
それに対して「絶対に違う」と反対する気にはなれないが、一つ確かなことは、反対する人は「親が熱心に英語を教えている」と思い込んでいる。
そういうパターンもあるかもしれないが、私の場合は明らかに違う。
教えていないのに、子どもは日本語も英語も同時に覚えていく。
もしそこにスペイン語があれば、スペイン語さえ覚えていく。
そういう子どもを見て私が思うのは、「親の想像を超えるほど子どもの能力は素晴らしい」ということだけだ。
つまり、反対意見とはベクトルの向きがまったく違う。
私だってわからないのだ。どうして子どもがIt doesn’t make~と口にするのか。
私はそれを、「三人称単数の否定形」として覚えてきた。
三人称単数とはなんなのだと、今でも思うときがある。
He, She, it。
じゃあ、Everyoneは? Nothingは? と。
「三人称単数はdoesn’t」と、日本語で覚えてしまうと、そのように混乱してしまう。
つまり、鍛えに鍛えた日本語で英語を理解しようとして、失敗しているのだ。
私は当然、中学まで日本語一つで、反対派の人が言うように日本語を鍛え上げてきた。
その日本語で英語に取り組み、大失敗をしたのだ。
どうして日本語を使わずに娘が英語を覚えていくのか。どうしてit doesn’tと言うのか。
反対する人は、すぐには答えることができない。
「母国語は一つに絞らなければならない」と断言できるほど、人は言語習得のミステリーを解明していないのだ。
「もっと重いよ」
と言いたいとき。
娘は、even heavier. イブン・ヘヴィアー
という言い方をする。
~アーとすることで、「もっと重いんだよ」と表現する。
たとえばtrick(騙す、いたずら)という単語でも、実際にtrickierトリッキアーとなる。
そういった単語ひとつひとつを知らない私には驚きだけど、アニメを観ているとeven trickierが出てきたりする。
娘の場合、比較級を知っている知っていないにかかわらず、何でも~アーにする。
なので先日、
even mommier イブン・マミアー
というのが出てきた。
意味は、「もっとママっぽい」。
要するに、motherlyというところを、mamaの比較級を出してきたのだ。
本当に~アーのルールで使いまくるのだなと関心した。
でも、調べてみると
mommier
は存在した(公式なものではないと思う)。
「ママにどんどん似てきたね」
というときに使えたりするのだ。
マミアーなんて、知らなければ日本人の大人は応用できない。
マミーの比較級なんて…。
空港の子ども用遊び場で、途中から入ってきた姉妹二人と娘が遊び始めた。
姉妹はシンガポールから来た英語を話す姉妹で、早速三人で英会話をスタート。
時間があったので20分ほど遊んでいた。
その会話を聞いていた妻が、シンガポール姉妹の英語がわかると言った。
いつもの娘の会話とまったく同じ言い方をするので、わかるというのだ。
しかも、thの発音を娘はブというのだが、それも同じだったという。
私はあまり会話を聞いていなかったので、姉妹がシングリッシュを話していたかどうかも判別できなかったが、英語で遊ぶ三人の姿はとても素敵だったことは間違いない。
二人でスターウォーズの遊びをしていて、娘がダース・ベイダー、私がボスになった。 彼女はスタ …
6月20日 4歳
娘が風邪をひいて、朝起きると濁声だった。
それが楽しいらしく、朝食を前に何かしゃべっている。
娘 OK. It’s changed a little bit. ちょっと変わっちゃった
父 Why? どうして?
娘 My voice always changes. 私の声はいつも変わるんだよね
父 How’s that? 朝食はどう?
娘 I didn’t eat it yet. Actually. OK. That’s enough pictures. まだ食べてないよ。実際。オケ、動画はもういいでしょ。
changeという単語について過去分詞と現在形を使いこなしているところは、あらためて不思議な気持ちになる。
幸いなことに、「過去の場合はchangedで、現在はchangeだよ。もし三人称単数だったらsをつけるんだよ」などと解説したことも教えたこともない。
日本人の私たちは、英語ネイティブの子どもがどうやって英語を覚えると考えているだろうか。
親が「過去の場合はchangedで、現在はchangeだよ。もし三人称単数だったらsをつけるんだよ」と小さいころに教えていると思うだろうか。
私は知らないが、日本人の子どもで自然に覚えるのだから、ネイティブの家庭でやっているとは思えない。
世間にある「子ども英語教室」の内容は知らないので何も言えないが、言葉を覚えるというのは、教育なのだろうかと考えてしまう。
教室で覚えるものなのだろうか。
ちなみに、That’s enough. は私もよく使うが、That’s enough + 名詞 という使い方があるのを恥ずかしながら知らなかった。
Pictures are enough. では駄目らしい。
実際の音声はこちら
西之島が噴火したという日本語のニュースを観ていて、娘が
Volcano! Has it erupted?
と聞いてきた。
私は「噴火」がEruptionであることは知っていたが、「噴火する」という動詞をあまり知らなかった。
だから当然、過去形も過去分詞も知らない。
調べてみた。
Eruptの過去形・過去分詞はErupted。
つまり、噴火したの? は、
Did it erupt?
になる。
また、(ちょっと前から)噴火しているの? なら
Has it erupted?
eruptedの過去形を使えるなんて凄いなと思い、もう一度なんて言ったのか訊いてみたら、
Did the volcano erupted? (正しくはerupt)
Eruptedに関して娘がどう考えているのかさっぱりわからないが、自然と使うところはあらためて不思議だ。
何かのアニメで観たのだと思う。
Memo
噴火している It’s erupting.
噴火する Burst into eruption
3月20日 絵本を暗記する
最近の読み聞かせは『ねむりひめ』と『花さき山』。
『ねむりひめ』は日本語版を私が英語で読み、『花さき山』は英語版。でも、付属の音声CDがあり、娘はそれが好きで私に一切読ませてくれない。
この日はどうしても読ませて欲しいと懇願して、やっと読んだ。
すると、evil(悪魔)の発音が違うと笑われる。
娘に発音を修正されていると、もしかしてもう、この話を覚えているのかなと思い、最初から読んでみて(文字は読めない)
と頼んでみた。
すると。
冒頭からすらすらと物語を正確に読み出した。
といっても正確なのは3行くらいで、あとは飛ばしたりあやふやになってきたが、3行でもなかなかの文量。
今までもこういった歌の歌詞を覚えていた的なことで私は親ばかに驚いているが、今回はそれ以上に衝撃だった。
その文の英語自体は簡単で、もしかしたら歌よりも簡単。
でも、覚えてしまうところが大人と違う…。
私は何度も聴いているのに、読まずに暗唱はできない。
私はますます、「文字を知らないこと」「文字で覚えないこと」によって生まれる、「音だけで覚える」能力について興味が増した。
子どもが言語を覚えるのが得意なのは、まさにこの部分なのだと。
『花さき山』の冒頭の台詞を娘が覚えていたことはお伝えしていたが、試しにその続きも読んで(字は読めないの暗記)もらったら、最後まで読んでくれた。
音で覚えているので、ところどころ抜けたりする。
この量をどうやって覚えているのか。
買ってから一ヶ月ほど、CD音声と私で読み聞かせしていただけで、練習的なものは一切していない。
「子どもは大人よりも言語の習得が得意」という現象に対して、ますます興味深い事象が私の実生活で起こっています。
今、ベッドタイムストーリーとして『ねむりひめ』と『花さき山』を中心にしているのですが、『花さき山』は英語版で、音声CDも付いています。それをiPhoneに落として聴かせたら娘が気に入ったようで、私が「読ませて」と言っても、「嫌だ」と断固拒否。
一週間ほどそれが続いて、どうしても読みたいので再び懇願すると、「いいよ」と言ってくれました…。
やっぱり絵本は自分で読みたいじゃないか…それが親心。
さて、と意気揚々、私は読み始めました。
すると、途中で「違うよー」と笑いだす。
It’s not “evil”. It’s like “eval”.(イービルじゃないよイヴァルだよ)
evilという単語の発音について、私に指摘するのです。
もう最近はこんなことがよくあるので、素直に娘の発音指導を受けます。娘が言うとおりに発音すると、
That’s right!
と「認可」を頂くのです。
そういった指摘や、文章の細かい部分で何か指摘するので、「もしかしたら文章を覚えているでは?」と思い、「読んでみて」と提案してみました。
前に別の絵本で冒頭の英語を覚えていたから、少しは覚えているのかもと思ったからです。
すると、娘はすらすらと冒頭の3行文くらいを暗唱しだしました。