最終的に辿りつくのは、イントネーション
正しく英語をそのまま聴き取れるようになれば、自然と英語の意味を考えたり、推測したり、発音し …
娘がモノを落としたときなどに出る言葉が、
ウープシーデイジー
どこから覚えたのか知らないけれど、なぜかウープシーにデイジーが付く。
彼女が1歳くらいのときに、ウープスをウープシーと言い換えたらゲラゲラ笑っていたので、ウープシーを覚えたのは早いほうなのだけども、頻繁に使うのは
ウープシーデイジー
どういう意味なのかというと、
「おっとっと」「おーっと」みたいな意味で、ウープシーもデイジーもほぼ同じ。
今日、意味を聞いてみた。
「オーマイガッド?」と私が振ると、
「イエイエイエー!」と言っていた。
英語表記はまちまちで、
oopsie-daisy, upsie-daisy, whoopsie-daisy, up-a-daisy
カタカナではウプシーデイジーと表記している人が多い。
英語辞書によると、「転んだり、何かをこぼしたとき」で、デイジーは花のデイジーとは全く関係ないそうだ。
興味深いのは、元々は「up a day」だという説。
これは「a lack a day(ああ、なんて日だ lackaday)」の変化したもので、少し強烈。
汚い大人の言葉でいうと、Sh○○! くらいの強烈な叫びだったのが、子どものために優しい響きに変化していったようだ。
Lazyは怠惰という意味なので、失敗したときに「Lazy」と言いたいところを子ども風にデイジーになったのかもしれない。
ということは、ウップス、ウップシーとは関係ないということなのか。
アッパデイから、ウップスを忍び込ませて、デイジーに変化してウプシーデイジーなのか。
それはネイティブにもわからない謎のようだ。
幼稚園の帰り道、Tooth Fairlyの話になって、娘は彼らが何をするのかについて熱く語 …
Even thoughやAlthoughの意味は理解していても、実際に使うというのはニュア …
正月休み、晴れた日に家族でピクニックに行った。そこは飛行場に隣接した公園で、小さな丘からは飛行場が見下ろせる。
陽に当たっていれば温かい日で、丘から離れた場所に敷物を敷き、椅子を置いてサンドウィッチを食べる。
娘はパンを食べ終わるとすぐに「飛行機が見たい」と、妻と一緒に丘に向かっていった。
私はKindle片手にうとうとしていると、娘が走って帰ってきて、敷物のまわりを飛行機の真似をして飛び始めた。
ズーン、ズーン、ズーン
普通、飛行機の真似はブーン、ブーンだが、ズーンズーンと言っている。
これは、よくクルマで走るときの英語の音、Zoomだ。
マツダのキャッチコピーとしてZoomZoomというのがあって、私も言葉は知っていたが、聞いたのは初めて。
CMではズンズンズン…と歌っているので、実際に子どもがどう使うのかは知らなかった。
娘のズーン、ズーンを聞いて、なるほどと関心した。本当にただブーンをズーンに変えただけだ。
mは子音なのでズーンに聞こえる。
「Zoomが英語圏でのブーンなのだ」と聞いてはいても、実際の感じがどうしても掴めなかった。
だからこその「なるほどー」体験だった。
英語のリズムが難しい歌を、歌詞からチャレンジすると上手く歌えないので、歌詞を読まずに音だけ聴いて、頭に記憶させて歌うという実験をしていた。
選んだ曲はエド・シーランのシェイプ・オブ・ユー。
最初はなかなか上手くいかず、1ヶ月ほど続けてまぁまぁ歌えるようになった。でも、一部よくわからない部分があり、耐えられないので歌詞を見ようと思っていた矢先。
車を駐車場に入れ、娘と二人での帰り道。娘が聞き覚えのある歌を歌い出した。
Let’s not talk too much…
もしかして、また最初から最後まで歌えるのかもしれないと思い、ずっと聴いていたら、1番の歌詞からサビまでを全部覚えていた。
部分的に明らかな聞き間違いがあるけれども、ちゃんと歌えている。
これがそのときにすぐ撮った音。途中で「最初から歌って」と私が言っている。
娘は現在4歳で、英語は読めない。なので、音だけで聴いて、暗記している。
私は英語が読めて、暗記できず、完璧には歌えない。
娘の場合の特長は、サビなどでルーティンしてしまったりすること。その場合、次へ変わるきっかけが掴めないと、先に進まない。
大人でもあるように、「音の暗記」でしかないのだ。
こちらが歌詞と本物のほうの歌 http://maash.jp/archives/30947
最初の言葉も言ってあげないとわからなかったりするのに、私が間違えてBarと言ってしまい、娘もBarから始まっている。
他にもいろいろ違ったりして、
Girl, you know I want your love(ガール、俺はおまえの愛が欲しいんだぜ)がDo you know I want your love(俺が君の愛を欲しいってしってますか?)になっていたりして、そういうのは指摘してもなかなか直せない。
私の場合、すぐ歌詞が読みたくなる。読みながら歌いたくなる。
でも、この歌はリズムが独特で、
Come over and start up a conversation with just me
こことかが本当に難しい。娘もここははっきり歌えていないのだけど、そのうち出来るようになりそうな気がする。
「英語の歌は歌詞がないと歌えない。聴き取れないから」というのは、大人としては常識だけど、文字を知らない子どもは音だけで理解して、暗記してしまう。
何度も言うけど、ここに母国語的な言語習得の秘密が隠されているのだ。
英語には日本語よりも強いアクセントがあり、アクセントを中心に話され、理解される。
日本語は単語ひとつひとつで区切られるが、英語はアクセントが中心になり、単語と単語は繋がりやすい。
だから、聴いていても単語ひとつひとつを理解しようとするとわかりづらいが、アクセントを中心に聴くとひとつひとつの単語が聞き取れるから不思議だ。
おそらく娘の場合、それが自然に出来ている。
「音を素直に聴く」からそれが出来ているのだが、単語から入った大人や子どもには難しい。
すべては、文字を知る前に言葉を聴き、親から話し方を教わることなく、ただ親や映画、アニメの音を真似したからできることだ。
それが母国語習得の基本となる。
私が「何もしないでください」と子どもに英語を教える人に言っているのは、それが理由だ。
文字や正しい言い方を教えたいのは親の気持ちとしてわかるが、それが母国語としての言語習得を邪魔する。
文字からではなく、耳から覚えた言葉こそが最終的に残る記憶であり、アクセントを持つ記憶になる。
娘が同じ方法で、また自分の子どもに二つの言語を学ばせるかどうかはわからない。
ただ、「英語の習得に苦労しない国」を、苦労した本人として願いたいのだ。
娘と一緒に遊んでいると、娘が母親に呼ばれた。 すると、遊んでいた人形を指さして Keep …
私が考えていたcanとcan’tの発音の違いは、当初
キャンとキャーン(ト)という感じで、伸ばすと否定だという雰囲気だった。
実際、
I can do that.
と
I can’t do that.
では、前者がアイクンで、後者がアイキャーンと長さが違いわかりやすい。
また、アメリカ英語ではtは呑み込むのでdoの前に少し間があるし、canには強調がないのに対し、can’tは少し強調する。
単純にいうと、クンがcanでキャンがcan’tだ。
それはわかりやすくていい。
ただ、canとcan’tはそれだけではない。
次に言葉が続かないときがあるのだ。
ビートたけしが先日番組で行っていたのは、「母国語」の考え方に似ていた。
「仕事ばかりしていて大変ですね」という問いに、「金魚に『泳ぐの大変ですね』なんて言わないだろ」。
つまり、「お笑い」の仕事は好きでやっているのであり、それはあまりに当たり前のことで、大変な仕事をしているような感覚などないのだという意味。
金魚は水泳を必死に覚えて、今も必死なわけではなく、我々が息をして歩くように泳いでいる。
母国語イングリッシュはまさにこれだと思う。
生まれてから母国語を覚えるというのは、金魚が泳ぎを覚えるのとよく似ている。
もっとミルクを欲しいから、「モア」という響きを覚え、使う。
自分が生きるために伝えたいことがあるから、「アイムハングリー」と言う。
It doesn’t make me feel like a cat.
と淀みなく娘が言う。
「このジュースを飲むと猫になってしまう」という遊びをしていて、私は猫になったのだが、娘がそのジュース(架空)を飲むと、
It doesn’t make me feel like a cat.(猫のような感じにはならないなぁ)
と言ったのだ。
私のような、日本語をしっかり学んだあとで英語を学んだ日本人にとって、文章としてはとても基本的なこういう文章を、反射的に言うのはそれほど簡単ではない。
It doesn’t
だって、初歩中の初歩なのに、久しぶりに英語を学んだりする人には使い方を思い出せなかったりするはずだ。
そういう言い回しを、4歳の娘がさらっと言う。
It don’t make とは間違えない。
くどいけど、私がit doesn’t make と言うのだと、教えたことは一度もない。
私のまわりにも、年配の人は幼児に対する英語教育に反対する人は多い。
それも、結構猛烈に反対してくる。
母国語の日本語が駄目になる。というのが理由だ。
母国語の日本語で思考する能力が衰えるというもの。
それに対して「絶対に違う」と反対する気にはなれないが、一つ確かなことは、反対する人は「親が熱心に英語を教えている」と思い込んでいる。
そういうパターンもあるかもしれないが、私の場合は明らかに違う。
教えていないのに、子どもは日本語も英語も同時に覚えていく。
もしそこにスペイン語があれば、スペイン語さえ覚えていく。
そういう子どもを見て私が思うのは、「親の想像を超えるほど子どもの能力は素晴らしい」ということだけだ。
つまり、反対意見とはベクトルの向きがまったく違う。
私だってわからないのだ。どうして子どもがIt doesn’t make~と口にするのか。
私はそれを、「三人称単数の否定形」として覚えてきた。
三人称単数とはなんなのだと、今でも思うときがある。
He, She, it。
じゃあ、Everyoneは? Nothingは? と。
「三人称単数はdoesn’t」と、日本語で覚えてしまうと、そのように混乱してしまう。
つまり、鍛えに鍛えた日本語で英語を理解しようとして、失敗しているのだ。
私は当然、中学まで日本語一つで、反対派の人が言うように日本語を鍛え上げてきた。
その日本語で英語に取り組み、大失敗をしたのだ。
どうして日本語を使わずに娘が英語を覚えていくのか。どうしてit doesn’tと言うのか。
反対する人は、すぐには答えることができない。
「母国語は一つに絞らなければならない」と断言できるほど、人は言語習得のミステリーを解明していないのだ。
「もっと重いよ」
と言いたいとき。
娘は、even heavier. イブン・ヘヴィアー
という言い方をする。
~アーとすることで、「もっと重いんだよ」と表現する。
たとえばtrick(騙す、いたずら)という単語でも、実際にtrickierトリッキアーとなる。
そういった単語ひとつひとつを知らない私には驚きだけど、アニメを観ているとeven trickierが出てきたりする。
娘の場合、比較級を知っている知っていないにかかわらず、何でも~アーにする。
なので先日、
even mommier イブン・マミアー
というのが出てきた。
意味は、「もっとママっぽい」。
要するに、motherlyというところを、mamaの比較級を出してきたのだ。
本当に~アーのルールで使いまくるのだなと関心した。
でも、調べてみると
mommier
は存在した(公式なものではないと思う)。
「ママにどんどん似てきたね」
というときに使えたりするのだ。
マミアーなんて、知らなければ日本人の大人は応用できない。
マミーの比較級なんて…。
空港の子ども用遊び場で、途中から入ってきた姉妹二人と娘が遊び始めた。
姉妹はシンガポールから来た英語を話す姉妹で、早速三人で英会話をスタート。
時間があったので20分ほど遊んでいた。
その会話を聞いていた妻が、シンガポール姉妹の英語がわかると言った。
いつもの娘の会話とまったく同じ言い方をするので、わかるというのだ。
しかも、thの発音を娘はブというのだが、それも同じだったという。
私はあまり会話を聞いていなかったので、姉妹がシングリッシュを話していたかどうかも判別できなかったが、英語で遊ぶ三人の姿はとても素敵だったことは間違いない。