Delicate china って何?
娘が「チャイナ」という言葉に反応し、デ○○○ト・チャイナと言い出した。 なんと言ってるかわ …
5歳の娘 英語について最近感心するささやかなこと
・Ourselves と言った。
By myselfとかyourselfは比較的初期に覚えているが、最近、~ ourselves と言っていた。
自分自身、あなた自身から、私たち自身になったが、感心したのは、アワセルフじゃなかったこと。
しっかり、アワセルブズと言っていた。
ourだけどうしてかselfじゃなくてselveになるという仕組みも自然と身につけている。
・Meant
I mean〜 「つまり〜」もよく使われる言い方だが、過去形になるとmeant (メント)になる。こないだ、娘が言い訳するときにこれを使った。
大人の英語学習者としての私は、いちいち、単語を知ったときの驚きだったり衝撃を覚えている。もう数十年前のなのに、「meanの過去形はmeantなのか」とか、meant to be で「そういう運命だった。そうなるようになっていた」と知ったときのふわっとした衝撃。
だからmeantを覚えるのは少し先のような気がするが、娘はさらっと使う。
逆に、悪い意味で気になること
・ちょくちょく、過去形を言うときになんでも最後にドをつける。
前は、buyの過去形でバイドと言っていた。今はboughtと言える。
他にも突然出てくる~ドの過去形。それはさすがに違うとツッコミを入れている。
・thやRの発音が曖昧
昔よりはthで舌を噛むようになったが、withのthは未だにブと発音する。
Rは、勝手にアメリカンなRになっていることがあったり、まったくなっていないブリティッシュなときもある。
アニメではどちらも観ているので仕方がないのかもしれない。
「母国語的に話す」というのは、アクセント、イントネーション、トーン、ジェスチャーから成り立つが、英語学習的には当たり前の言葉が並んでいるだけで面白みがないかもしれない。
しかし残念ながら、母国語的、ネイティブ的な話し方を身につけるには、この要素で十分であり、これ以上は必要ない。
ちょうど昨日、娘がママの化粧道具で遊んでいて、私が「それで遊んでいいの?」ときくと、ジェスチャー混じりで言い訳をはじめた。
そのトーンやジェスチャーがネイティブのそれらしくて微笑ましいのだが、普段からいつもそうやって話すわけではない。
それはどうしてだろうかと、ちょっと気になった。
もしかしたら、私がそういうふうに話さないからかもしれない。
日本人としては、ジェスチャーを交えて、ネイティブ風に話すというのは、なんというか、ちょっと面白い感じになる。
私が娘と話すときは、より日本人らしく無表情、無ジェスチャーで話しているのかもしれないと思った。
そして早速だが、今日の朝から大げさにしてみた。
よくわからないが、アクセントもイントネーションもトーンも、「感情を込める」という意味でジェスチャーに集約されているような気がした。
今後はアクセント、イントネーション、トーン、ジェスチャーに絞って、母国語的スピーキングの話をしたい。
ある記事を目にした。「親が子どもに英語で話しかけている」という家族に出会ったが、その子どもがしっかり話せていないというもの。
本来子どもは、独り言として母国語をぺらぺらと発話するのが普通なのに、それができていないという批判だった。
なので、「子どもに小さいころから英語を教えるのは危険だ」という、よくある記事。
たしかに、「子どもに英語で話しかければそれでいい」わけでもないし、「日本語を話せるようになってからの日本語による英語教育」が素晴らしいとも思わないので、批判する気持ちもわからなくないが、このよくあるパターンの幼児英語教育批判は、とにかく決めつけが多い。
本でも映像でも公開しているとおり、私の娘は早い時期から自然発話していたし、今も一人遊びは英語でずっと遊んでいる。
娘が0歳から英語で話しつづけているが、その時点で私のスピーキングがネイティブ並であるわけもない。
「親がネイティブならともかく」
というただし書きをするが、「片一方の親がネイティブなら母国語として二つの言語を習得する場合がある」というのは大事な事実で、「幼児が2言語を同時習得できる」というのも、否定すべき事柄ではない。
結局、私が実践してみて、親がネイティブかどうかは関係なかった。という結論になっている。
それは英語の映像が簡単に見られる時代だからかもしれないが、親が英語のネイティブだって、日本に住んでいれば子どもは日本語しか話せなくなったりする。
要は、子どもがユースフルだと思った言語が育っていくだけなのだ。
娘の場合は、大好きなアニメや映画を観るのに、英語がユースフルだった。
それは、親の私が英語の映像だけを見せたからだ。
そして、アウトプットとして、私という話相手がいた。
母親とは日本語という役に立つ言語があり、保育園でも日本語が役立った。
だから娘は二つの言語を使い続けている。
彼女が1歳から2歳にかけて、人形でひとり遊びをしながら、英語を話し始めたとき。
それは、アニメの物語や台詞を真似しているようだった。
楽しいその遊びに、やはり英語は必要だったから、自然発話は英語になったのだ。
幼児に対して、「どのように教育すべきか」と、正論を掲げても実用性はない。
子どもは好きなことを好きな分だけやる。
英語も日本語も、楽しかったら、有用的なら使うのだ。
ある日の夕食。 娘は妻が作ったトマトスープが美味しかったらしく、全部食べたのでビデオに撮っ …
外国の知らない歌は本当になにを歌っているかわからないが、ただ同じように歌うことはできる。
そのために、歌詞カードを開く必要はない。耳で歌を聴きながら、その直後に同じ音を出せばいいのだ。
たとえ知らない歌でも、その方法で知っていたかのように歌うことができる。
日本語の歌でも一緒で、聞いたことのない歌を知っていたかのように歌うことができるのだ。
しかも、それを繰り返すと、英語でもフランス語でも韓国語でも、次からは自然と口ずさんでしまうのが不思議。
適当ながら、歌えるようになるのだ。
これは、「耳で聴き、歌うことで覚えてしまう現象」。当たり前だが、これは現象だ…。
しかし、歌はボリュームを上げてなければ、自分の声で聞こえなくなってしまう。
実は子どもはこれを幼児期に繰り返しているのだが、自分で話してしまうと人の声が聞こえなくなる。
なので、じっと黙って聞いている。
聞いているが、真似している。自分で話すように聴いているのだ。
聞いた直後に真似をするというのは高度な技で、大人のように予測して聞いたり、言う状態と違う。
だが、脳の中では真似をして話しているので、スピーキングしているのと一緒だ。
だから、練習しなくても最初からさらっと話し出す。
私はこの現象を娘の歌を覚える過程で発見した。
2、3回は黙って聞いているのに、それから聞かないでしばらく経ったころに、突然その歌を歌い出すのだ。
最近はないが、小さいころにはそれが頻発していた。
引っ越しでアメリカの小学校に入った子どもがずっと黙って教室で過ごしているのに、ある日突然話出すのも同じ現象のはずだ。
小さい子どもとの会話はもちろん、日本人向けに少しやさしく話してくれるネイティブとの会話や、教室でのやりとりなどで使う英語は非常にやさしい。
やさしいがために、力業でなんとかなる。
たとえば例文の暗記で、その中の一部を替えて話したりする第二外国語としての話し方だ。
また、聴き取りも子ども向けのアニメは簡単だし、なんとか聴き取れてしまう。
だけども、そこからニュース番組だとか、バラエティ、ネイティブ二人対自分といったシチュエーションになると、まったく対応できない。
そのレベルになると、「理解しなくては」という気持ちが邪魔になり、聴き取りのスピードについて行けなくなるからだ。
このサイトで行っている母国語としての英語習得は、その壁をブレイクする方法。
だから、ニュースの聴き取りで試していけば、子ども用の英語アニメなどは、母国語としてすぐに聴けるようになる。
ニュースの英語がすぐに聴き取れるようにはならないかもしれないが、「理解しない」「訳さない」という方法にもかかわらず、子どものアニメが理解できるようになっている。
さらには「英語が早口に聞こえる」という現象さえ、変えることができるのだ。たとえば、
「英語の音をそのまま聴く」ことがあらゆるネイティブ的英語習得に繋がるのだが、英語を勉強した人ほどそれができない。
だから、とにかくそのまま聴かなければいけないのだが、そのための方法をいろいろと示してきた。
ここで少しまとめたいと思う。
まず、最終的には、
「自分で話すように、真似するように聴く」に集約される。
聴きながら、自分の発音練習にもなり、音として、アクセントとして聴くために、記憶が楽になる。
しかし、これを実現するのに、さまざまな方法がある。
日本語で考えたり、リズムについていけないのが理由なのだが、そのために、
アクセントに集中して聴く