Blush! 「磨く?」「え? 何知らないの?」「○○だよ」
ちょっと前のこと。 一緒にYoutubeを観ていて、そこに映っている人物に対して娘が ブラ …
映画『ユー・ガット・メール』のシーンを紹介しよう。
はじめてメールで知り合った女性とトム・ハンクスがカフェで待ち合わせをするシーン。
店に入る前に友人とどうするか相談していて、「長居はしない」と決める。
そして、「いつもそういってるよな!」と自分に言い聞かせるように言う。
I always said that, didn’t I?
こういう付加疑問詞も、数パターンを一緒に覚えるのではなく、この映画のシチュエーションで、音や抑揚と一緒に覚える。他のパターンは無視する。
すると、今後迷ったときに、このシーンを思い出す。
このとき彼が言ったこの言葉が、信頼する最上位の記憶になるのだ。
文法の本で読んだことや、先生に学んだことではなく、このシチュエーションがもっとも信頼できるもの。
母国語とはそういうものだ。
そして、実際にNYにあるカフェ・ラローに辿りつくトム。
OK. Cafe Lalo. This is it.
英英辞書で読むシリーズは、説明の仕方を上達させるために役立ち、一語一語順番に読んで解釈する練習にもなる。
大事なのは、二つの単語があった場合の繋がり。
Technology
Technology refers to
things which are
the result of scientific knowledge
being used for practical purposes.
言葉を説明するときに使われるrefer toは、日本語だと「以下の通り」「〜を意味する」というニュアンス。
things which are は、読むときにはまあいいけども、日本人が口語で使うとなると難しい。
refers toから考えると、「モノを意味する」ということだけども、最初にそう言い切るのが英語の語順。
ここは日本人にとっての難関。
「モノ」と先に言っておいて、which areと内容を述べるのだから、もうとにかくこの順番に慣れるしかないし、逃げてはいけない。
次は「科学的知識の結果」だけども、「実用的な目的のために使われる」という表現があとから来る。
ことごとく日本語と逆。
being used forはひとかたまりだが、その前後はしっかり感情で繋いでいく。
つまり、knowledgeとbeingに行く感情と、forとpracticalに行く感情をしっかりやること。
相手から、1パターンだけ受け取る
母国語として外国語を習得するのに、もっとも大事なのは物まね能力だと何度も書いてきた。
発音をそのまま真似するだけではなく、感情的なもの、つまり抑揚や声色も含めての真似だ。
そういった抑揚、話し方をまるごと真似することが大事だが、なぜそれが大事なのかをすぐには理解できないはずだ。
英語ネイティブの話し方は千差万別、トーンも抑揚もことごとく違う。それなのに、たまたま目の前にいるネイティブや、動画で話している人の抑揚まで真似する必要があるのか。
答えは、ある。
母国語での初期習得時は、母親や父親から話しかけられるが、そのトーンや抑揚を真似し、現場の状況から意味を推測していく。
そして、その内容をそのまま真似する。
This is a car.
と、おもちゃの車を指さして母親が言った場合、まず子どもはそのまま真似をする。応用という考えはない。
だから最初は、This is a という文がcarのためだけに用意されているかのように、This is a car. を覚える。
抑揚、イントネーション、アクセント、すべて含めて覚える。
その情報量は大きく、次におもちゃの車を見たときに、全部を真似して、This is a car. と言う。
ジュジュイジュアカー
みたいな赤ちゃん言葉になっているかもしれない。
そうやって、シチュエーションごとに1つ、一人の人間から一つずつ言い方をまるごと覚えていく。
I can do it if you want.
生まれた娘と0歳から英語で話しかけていると、娘が日本語より先に英語を話し出した。
それが6、7年前。
ずっと英語を勉強していた日本人の父親として、どんどん話せるようになる姿が不思議で、そのころの動画を観るといつでも感動できる。
クセのない、素直でシンプルな英語を使いこなし、感情的に直感的に言語を使う。
Youtubeのアニメからもどんどん単語を覚えて、教えてないのに勝手に覚えていく。
「両親が日本人では難しい」という意見は今よりもずっと強く、困難な時代ではあったとは思うけれども、その後も英語のプリスクールでしっかり英語体験もして、逞しく育っている。
結局、「英語を教える」という勉強的なことは読み書きだけで、話すことに関しては「英語についての話をする」くらいで、真面目に文法などを「教える」ということは未だにしていない。
娘の英語習得の方法に驚きがあったので本にまとめ、それ以来、母国語として言語を覚える方法を模索しているが、それは文法や発音の勉強を何十年も真面目にしてきた上での反省からだ。
知らないことを覚えるのは楽しい。
だから英語の勉強は楽しい。
今も文法の勉強は楽しい。知識は増えていく。
もしかしたら、そういった知識で英語マウントを取る人もいるかもしれない。
だけども、母国語として話せるようになることと、英語の知識を増やしていくこととは、やはり違う。
今Youtubeには多くの英語講師が英語について解説していたり、発音について指導しているが、どれも「第二外国語としての知識」の範疇を超えていない。
例えば発音ではシュワサウンドや異なる母音などが出てきたりするが、子どもはそんなこと勉強しない。聞いた音をそのまま真似するだけで、どこが伸びてどこに力を入れるかというだけだ。
私が中学のころ、最初にローマ字をやらされた。
アルファベットでどうやって日本語を表現するかというもの。
どうしてこれを最初にやるのか、未だにわからない。
これによって結局、英単語を読むときにあいうえお、かきくけこになってしまうはずだ。
娘には小さいころに一度伝えたことがあるが、やはり意味がないと思ってやめた。
英単語のスペルには完璧な規則性がなく、漢字を読む感覚に実は近い。
ローマ字読みをしないおかげで、娘は単語を知っている音優先で読んでくれる。
スペルはそのヒントでしかない。
シュワがここにあります、この単語はこの母音を使います…という知識の入れ方はまったくその逆で、覚えるには相当の努力が必要となる。「第二外国語」としての知識なのだ。
そういったマウント用の知識を得たいのか、それとも母国語のように英語を身につけたいのか、それは本人の意思次第。
このサイトにいろいろ書いてあっても、それを手がかりに自分で考え、構築していかなくてはならない。
娘とジョークの動画を観ていたら、
Why didn’t the skeleton go to prom?(どうしてスケルトンはプロムに行かなかったの?)
というのが出てきた。
答えは、
Because he didn’t have the guts.
で、私は?となった。
娘はケラケラ笑っている。
意味を訊くと、まず日本語のガッツ、根性という意味がgutsにはあって、なんとなくわかる。
ちなみにプロムは学校主宰のダンスパーティで、好きな人を誘って行くのが通例。
彼は好きな人を誘う勇気がなかったのだ。
でもこれはジョークだから、もう一つ意味があるはず。
それは娘によると、「お腹がないから」とのこと。
gutsというのはお腹の中のことで、腸を意味するらしい。
それがないのがスケルトン。
普通に英語を勉強してきた私には腸という意味のガッツ、なんとなく過去に聞いたことがあるような気はしたけれども、わからなかった。娘はモンスター系のアニメが大好きだから、朝飯前だったのだろう…。
「溜め」が「準備」で、そのおかげでリスニングができるようになるという前提で、Youtubeなどでネイティブの英語を聴いてみてください。
表情を見ていると、言葉を話そうとしていて、口元は準備をしているのに、まだ音を出さない「溜め」が、大げさなほどにあることに気づくでしょう。日本の標準語にはこれがありません。感情を込めるときだけです。
歌にはあります。
「炎(ほむら)」は「さ よーなら あ りーがと」という感じで、「さ」と「よ」の間に「溜め」があります。これは「よ」にアクセントがあるからです。でも実際の会話では、「よ」にアクセントはありません。この歌が勝手にアクセントを付けているのです。
でも、この歌のような日本語が、英語と同じ構造なのです。
英語を話すネイティブの英語が「早い」と感じるのは、この「溜め」のあとが早いからです。
0歳から日本人の父親と英語で育った娘は、日本語より英語を先に話し出したので、小学校入学までは若干の英語優位状態。
それが入学して1年が経ち、だいぶ日本語が勝ってきたように思います。
同級生の友達に日本語の単語を教えてもらったり、読み書きの授業によってだいぶ変化がありました。
正直、入学前は英語にしろ日本語にしろ、読むのも説明するのも苦手だと、親としては感じていました。
それが、1年経った今は、感情を込めて上手に読めるようになりました。小学校教育のおかげです。
不思議なことに、日本語教育の邪魔をしないように控えていた英語のリーディングも、日本語と同じように感情を込めて上手に読めるようになりました。
たしかに、入学以前は読む練習をやってはいましたが、1年間、ほとんど手をつけていません。
あんなに頑張って教えていたときはできなかったのに、今ではすっかり上手に。
いったいどういうことなのか。
どうも父親としては即効果のある方法を教えたくなり、それができないと「うーむ」となったりしますが、そもそも年齢が上がること自体も能力が上がることだし、小学校で毎日勉強するという環境も今までとは違うし、日本語が上手くなると英語も上手くなるというのがあるのかないのか…。
そんなことを考えたりしているのですが、『出口式 はじめての論理国語』はやっぱり凄いなと思うことがたびたびあります。
子どもの国語教育は今後クリティカル・シンキングという自らの頭で多角的に問題を考えて結論を出す方向性に向かうそうで、そのために欧米ですでに行われているような論理的な技術を教えていくもの。
大人としてはそもそも「論理(ロジック)」って何だろうと思うのですが、これが確かに英語で考え、話す際にしっくりくるのです。
本に書いてあるのは、まず4つの柱。
・イコールの関係
・対立関係
・因果関係
・文の要点(主語・述語・目的語の関係)
だそうです。
イコールの関係というのは、具体と抽象をイコールで結んで説明すること。
「ゆうた君は野球部で4番で足が速い。つまり、彼はスポーツ万能だ」
という文です。具体的な事象と、スポーツ万能という抽象はイコールで繋がっていて、こうすることで説明が明快になるということらしいです。
対立関係というのは、「私のテストは100点だった。しかし、彼は50点だった」というパターン。
因果関係は「お腹が痛い。だから病院に行く」というもの。
文の要点は、主語述語に必ず文の要点が来るというものです。
それぞれ使う言葉として、
イコール=つまり、たとえば
対立関係=だけど、一方で(それに対して)
因果関係=だから、なぜなら
となり、英語では上から
It means, for example
but, although, on the other hand, however, nevertheless
that’s why, because, so
という感じです。
これらを使うことで、人は論理的に説明ができるということらしく、英語圏ではbecauseをしっかり使える人がロジカルだと評されると書いています。
しかし出口先生によると、小学校低学年の子どもたちは抽象が苦手らしく、ロジカルな対話はまだできないようなのですが、それを日常会話で親が使うと、どんどん覚えていくというのです。
おかげさまで、小学校1年の間に、この方法で英語の会話を娘と積み重ねました。
何かを娘が言っても、必ず私が「Because」と言って次を促します。
すると私にも変化があり、必ずではないですが、こういった言葉を使って英語を話したり考えたりするようになりました。
1文で終わるのではなく、2文くらいで構成される感じです。
こんな簡単なのでもそうです。
「取れるから大丈夫」
と日本語ではリズムに乗って簡単に言えます。これを英語にすると、
I can take it, so it’s OK.
日本語だと「取れる」「から」「大丈夫」という二つの事柄を結びつけて1文のように言いますが、英語だと
I can take it
It’s OK.
を別々に言ったりするときがあるはずです。
でも、このロジックな方法を繰り返し、I can take itだけど、それで何なんだというところまで言おうという思考回路になり、二文を結びつつ言いたくなるのです。
イコールは、「あれってああーだよね、でもここはいいんだな。んーつまり、ここが完璧ということだな」という感じで、とりとめなく具体を話して、話ながら答えを見つけて、結果としての抽象を述べるというとき。
対立はAlthoughやEven thoughが最初から仕組みとして頭に浮かんでる感じが理解できました。正直、意識しないと使えないのがこの二つ。
でも、「○○だけども、いいよね」とか、「○○なのに、おいしいね」とか、エンディングまで意識していると使える。そういう話し方ができるようになりました。
that’s why, because, soについては、娘は小さいころからよく使っていて、すでに問題はないように思えます。
私は意識的に使う量を増やして、今に至ります。
日本人としては当たり前にやっているように思えますが、必ずしもそうとは言えない気がする論理的な対話法。
そもそも英語を学んで話すときに、何から話せばいいのだろうとか、なにか途切れ途切れでしっくり来ないと思っていたら、このロジックな方法が役に立つかもしれません。
何かを言いたいときは、ロジックを使うということ。
最後に、主語と述語が文の要点である。という部分は、まさに英語の翻訳で使われている手法です。
何を主語にするのかは、どんなときでも重要だということですね。