世界の言語は音と語順で成り立っている 001
根拠(basis)を実際の会話から得ると、2つの大きな要素を掴むことになる。 ひとつは、英 …
仮定法(直説法)は相変わらず人々を混乱させている。
If it happens(もし起きると)とIf I were a bird(もし鳥だったら)ならわかりやすいけれども、
If it happens(もし起きると)とIf it happened(もし起きたら)はどう使い分けるのかというと、途端にわからなくなったりする。
この二つは、気分的に全然違うのだけれど、感情で見ていかないと、分からない。
感情的には、If it happened(もし起きたら)は今から起きるかどうかわからないけれど、「もし起きるとこうなる」という気分のときに使う。
「もしそれをすると落とすよ」「もし火を使うと火事になるよ」「もし喧嘩をすると、捕まるよ」
これから起こることに対して、「起こらないと思うけど」と否定するような気持ちはない。
この気持ちがないことが使うときの判断基準になる。
「もし食べたいなら、残しておくよ」と「もし喧嘩をすると、捕まるよ」は文法的には条件と法則といって分かれているが、使うときには考えない。
今のが現在型のifだが、仮定法過去つまりIf it happened(もし起きたら)は、まず否定から入る。
「起きてないけど」という気持ちがあることが重要だ。
それは今のことでもこれからのことでもいい。いつだって、「起きてないけど、もし起きたら」という意味。
この「起きてないけど」という感情を抜きにして仮定法過去は作れない。
「(今食べてないけど)食べたら美味しいだろうね」
「(今急いでないけど)急げば間に合うだろうね」
「(今地震起きてないけど)地震が来たらこわいだろうね」
基本的に今のことを言うが、(今食べてないけど)(今急いでないけど)(今地震起きてないけど)この部分を(明日も食べてないだろうけど)(明日も急いでないだろうけど)(明日も地震起きてないだろうけど)とイメージを広げてもいい。
そこで、これからのこと(明日)を仮定法の現在と過去で比較してみる
現在
「明日地震が起きれば(そのときが来たら 起きるかどうかは誰にもわからない けど起こる可能性がある)、水道は遮断される。どうしよう」
過去
「(明日も地震起きてないだろうけど)明日地震が来たらこわいだろうね」
現在はこれから起きるかどうかわからないけれど、起きる可能性があるから、起きた場合について現実的に考えている。
「起きたらどうしようか。まず○○に避難しようか」
過去はこれからも起きていないだろうというのが前提なので、起きていないと思うけど起きたら大変だねという感じで深刻には捉えていない。現実的な行動については考えていない。
基本的な考え
さっき地震があって、余震の可能性があるとき。「地震が来たら(現在形)、また津波が来るぞ」(これから起きるかもしれない、明日、あさって来るかもしれない)
それが1ヶ月前のとき。「もしまた地震が来たら(過去形)、やばいことになるだろうね」(今起きていない)
お父さんがスーパーに行こうとしているとき。「もしお父さんが行けば、違うものを買ってくるよ」
お父さんは家でゴロゴロしているとき。「もしお父さんが行ったら、お母さん喜ぶのに(行かないだろう)」
「私が行くならお父さんも行く?」(現在形 自分は行くつもり)
「もし私が行ったら、後悔するかもよ」(過去形 行かないけど)
他に、
あるYoutubeでhave livedの使い方について、日本人の方とネイティブの方が議論 …
昔の動画が出てきたので、今の娘と比べてみた。
前半が2歳か3歳のころ。
後半は8歳。最近始めたオンラインでの様子。
個人的にはなんとなく小さい頃の発音のほうが楽しかったと思っている…。
Rainbow
A Rainbow is the arch of different colours that you sometimes see in the sky when it is raining.
まず大きく分けて、
A Rainbow is the arch of different colours
that you sometimes see in the sky
when it is raining.
となる。
最初に何であるかを述べて、次に細かい説明。
When以下は強調でなければ最後の来るのが普通。
A is B that ~when~.
ということで、完璧な英語的文型そして語順。
これを上から順番に読んで理解して、話せるようになると、それは英語脳だということだ。
「カタカナ英語」は、英単語の特長である、「伸ばす場所がある」というところに着目したカテゴリ。
耳にしたことがない単語を読むときに、想像でしかその伸ばすところがわからないので、適当な発音になってしまう。
今回紹介したいのは、Brutality。意味は「残忍」「残忍さ」で、たとえば第一次世界大戦で、「その戦争の残忍さ」と言いたいときは、
The brutality of the war.
と言う。
カタカナにするとブルタニティだけれども、伸ばすとしたらどこにするか?
ブルータスが語源だから、やはりブルータリティか。
正解は、
ブルターリティ
ブルータスと全然伸ばすところに関連性がないけれども、英語にはこういうのが多い。
なぜか伸ばす場所が変わってしまうのだ。
ちなみに、同じテンポで ブ ル タ ー リ テ ィ と読むわけではない。
ブルを極端に短く言う。
ほぼターリティだと思っていい。
Happy thanks giving.
という言葉はたしかに日本で使う機会はあまりないかもしれない。
だとしても、この言葉を読んだり、調べたりして知っているとして、すぐにネイティブの人に向かって使えるだろうか。
使える人、使えない人、さまざまではあるけれど、「もし言い方が違ったらどうしよう」「文法が違ったらどうしよう」「シチュエーション的に間違っていたらどうしよう」「イントネーションが違ったら…」という不安は、実際にはよぎったりするものだ。
それが、もし同じシチュエーションで聞いたことがあったら、違う。
実際は、このイントネーションには特に特長はない。
それでも、一度聞いていたら自信になる。
また、その場合は間違いの例と一緒に覚えたりしていないので、迷うこともない。
個人的にはこんなことがあった。
子どもと遊んでいて時々、
Fight to the death!
という言葉が自分の口から出てくる。「死ぬ気で戦え!」という少々危ない言葉だが、どこで覚えたのかもわからず、なぜかこの言葉が心にある。
するとある日、その出所が見つかった。
何度も観た『ユー・ガット・メール』で、トム・ハンクスがメールで書きながら、その言葉を読み上げるのだ。
相手の女性を演じるメグ・ライアンは、トム・ハンクスの会社からプレッシャーを受けていて、戦うべきかどうか、インターネットで知り合ったその人に相談しているのだが、二人とも相手が誰だか知らない。
つまり、トム・ハンクスは彼女に対して、自分の会社と戦うようにけしかけているのだ。
そこで出てきた言葉が、
※他サイトで公開済み
「英語ができる人」は2パターンある。
「英語ができる人」というのは、一種類ではない。
まず、文法的な知識が豊富で、日本における英語テストが高得点の人。
当然、「英語ができる人」と言える。
もう一つ、真逆のようなパターンの人がいる。
もう一つは、発音がネイティブ並で、ペラペラ話せる人。だけど、文法的な知識が豊富なわけではない。
英語の知識が豊富なパターンは、日本語との比較も得意で、読み書きも上手。勉強型だ。
発音が上手い人の方は、ときどき英単語を日本語で言えない。これは体験型といえる。
基本的に、日本人が学校で英語を学びはじめるとき、対日本語で英語を学び始めるので、最初から翻訳、通訳のための勉強をしていることになる。
外国語を日本語に訳すためには文法的な知識が必須となり、当然難易度は上がる。
そして、多くの人がこの対日本語の勉強をやり続ける。
もし子どもが母国語を学ぶように言語習得を試みれば、もっとシンプルなはずなのに、どんどん英語知識は複雑化していく。
「発音がネイティブ並で、ペラペラ話せる人」は、日本では子どものころに海外にいたバイリンガルが大半になる。
少数派だが、日本で独学で辿りついた人もいる。
そういった人の共通点は、「どの言い方が正しいか」「今どうゆう言葉を使うべきか」という点での、根拠となるものが決定的に違う。
勉強派が文法の組み立てや、机上で学んだものを根拠にするのに対して、ネイティブ派は実際の生活の中で体験したものが根拠になっている。
「こういう状況のときは、普通こう言うね」という言葉が出てくるのはそのためで、文法的にはよく分析はできていない。
だから、日本人に「これは文法的に考えるとこうなるはずだけど」と言われても、「実際はこうなんだから、なんとも言えない」となる。
では、こういった母国語のような根拠を持つために大人としてどうすればいいのか、方法はあるのかというと、ある。
それは、とてもミニマルでシンプル。
母国語としては、それでいい。だからペラペラ話せるのだ。余計なことを考えない。
「シチュエーションごと真似する」
だ。
何かを食べて
It’s yummy.
と母親が言った場合、赤んぼうは「何かを食べたあとに言う言葉」であることを知る。
さらに、表情から感情を読み取り、嬉しいときに言う言葉だとわかる。
こういった簡単な推測から始まり、それが辞書で言葉を調べられるようになるまで推測の毎日。
決して、「これは日本語だとなんて言うっけ?」とはならない。
状況、感情、イントネーション、発音、すべてを聴き取り、真似して、使えるようになる。
これが話す際の言葉を選ぶ根拠になるので、文法的な間違いを指摘しても、「いや、誰かがこう使ってた」と言って認めないこともある。それほど、子どもにとっての実体験は強い。
「たぶんこうだろう」で使い続けるので、間違いを指摘されなければ間違ったまましばらく使ったりするが、やがて矯正されていく。
「この間違いを指摘される」は子どもにとって屈辱でもなんでもなく、当たり前のことだが、大人はそれを恥とするので、「指摘されまい」と殻を作ってしまう。「間違った英語を話したくない」と思ってしまう…。
当然ながら、イントネーションも発音も親やアニメから聴いたものをそのまま真似するので、小さいころから英語ネイティブの子どもは大人と同じ発音をする。
このプロセスを、大人になった日本人が辿りたいと思った場合、できるのかどうか。
多くの問題はあるけれども、できる。
問題というのは、「すぐに単語の意味を調べたくなる」病だ。
便利な世の中なので、すぐに単語を調べる方法はいくらでもある。
だから、調べずにはいられない。
これが母国語のプロセスを邪魔する。
「すぐ訳そうとしてしまう」という気持ちも問題だ。
英語で言われたことを、日本語として訳してやっと「理解した」となるのも、邪魔をする原因になる。
それを踏まえたうえで取り組む場合は、今はYoutubeが大活躍する。
ポイントは、日常生活を追ったネイティブのもので、子どもが出てくるもの。
互いの会話があるものがいい。
NGは、大人がカメラに向かって話し続けるもの。これは推測が難しく、子ども向けアニメも母国語プロセスをふめるものが多い。
観るときのコツは、決して日本語に訳さないこと。
知っている単語でも、あくまで英語として、そのまま聴き、受け入れる。「こういうシチュエーションのときにそのまま使う」つもりで聞く。
発音、イントネーション、語順なども、そのまま。
応用なんて考えない。
同じシチュエーションでしか使えないという心構えでいい。
文法的な分析はしない。
1シーン1センテンスで覚えたら、それを使う根拠の筆頭にする。
文法的に解釈して、あれ、おかしいな…なんて考えない。
この根拠を増やしていく。
そうして、観たもの、聞いたものしか、使えないのだという心構えで増やしていく。
日常での会話は、それがベーシックとなるのだ。
子どもが読み書きを覚えて、専門用語を使い始めるのは、小学校から。
その前段階では、このような言語習得のためのプロセスがどの言語にも存在する。
状況や感情から推測し、音やイントネーションをそのまま真似をする。
1シーンにつき1センテンス。
観なければ、聞かなければ絶対に学べない。
1対1で目の前の講師と話をしていても、このプロセスは決して辿れないのだ。
いきなり大人の英会話が聞き取れなくても、子どもの英語からはじめれば、少しずつ鍛えられていく。
コツ
・字幕は読まない 消せるなら消す
・聴きとれた(意味がわかった)単語だけ聴くのをやめる
・全体を真似するのだから、文法的な解釈をする必要がないと認識すること
・物まねするように、声色(トーン)、抑揚も真似する。
参考動画として、まずは赤んぼうが言語を覚える様子を紹介している動画。
赤んぼうが親の言葉をそのまま真似するパラレルトークや、物事にラベルを付けていくように単語を覚えていく様子を紹介している。
手を上げて、下げて、Up、Downと言ったり、スイッチをオンオフしながら、On、Offと言う。
当たり前のことをやっているだけだけども、これが母国語のプロセスとなる。
子どもの簡単な英語と抑揚を知るにはこれがいい。
キッズたちが登場するHiHo Kidsだ。
多くのルーティン系動画は、大人がずっとしゃべり続けていたり、音楽があったりと、向いていないものばかり。
状況と会話がそのまま収録されているものは探すのに苦労する。
もし、少しでもこういった動画からそのまま使い方を覚えたら、文法的な間違いや発音的な間違いなど気にせずに使う。
「間違ったままでもいい」くらいに思って、使えばいいのだ。
勉強型でもいい。英語の勉強や文法解釈は楽しい。その一方で、ネイティブ型の根拠を持つようにすると、さらにレベルアップすることになる。
Not really.
も、何も考えずに使えるようになるはずだ。
ショーヘイ・オーターニーの英語について「なぜ通訳をつけるのか」と話してしまった人に対して、「アジア人には文法上、英語との大きな構造の違いがあるため、大きな壁になっている」と改めて指摘された我々アジア人。
でも、フィリピンのタガログ語は動詞が先にくるVSO型で、日本同様、英語とは大きな構造の違いがある。
結局は、英語の語順で理解したり読んだりできるようにトレーニングするしかないのだ。
今回はGrowl。先に意味のイメージ付けをすると、これは動物が「ガルルルル」と唸る動詞。
When an animal growls, it makes a low rumbling noise, called a growl, usually because it is angry.
日本語で順序をそのままにして置き換えてみる。
「時 動物 唸る、それは 作ります 低く ゴロゴロしたノイズ、 呼ばれます うなり声、たいてい なぜなら それ います おこって」
外国の方が日本人にこう言ったら、ほんとに意味がわからなくなる。
なので、日本語の順序にするという構造変化、語順変化の努力が必要になるのだ。
「動物が唸るとき、たいてい怒っているため、うなり声と呼ばれる低くゴロゴロしたノイズを作ります」
これだけ構造には違いがあり、アジア人と英語の壁になっている。
ビコウズ以下の理由を最後に持ってくるのは英語特有の構造、語順で、これにも日本人はなかなか慣れない。
すぐ冒頭に持ってこようとしたりして、日本語との親和性を高めようとしてしまうのだ。違和感が凄いため仕方ないとも言える。
だけども、結局は語順で理解し、話さないと、相手が何かを言い続けたときにさっぱり頭に入ってこない。
順番通りにただ読んで、理解するクセをつけるしかない。塊、チャンクごとでいい。
When an animal growls,
it makes
a low rumbling noise,
called a growl,
usually because
it is angry.
これを順番通りに言えて、読めたとき、英語脳に仕上がってるはずだ。
娘とジョークの動画を観ていたら、 Why didn’t the skeleto …
depth
The depth of something such as a hole is the distance between its top and bottom.
英語を母国語話者と同じように、言葉の順番通りに読むという『英英辞書で読む一語一語』。
今回は「深さ」を意味するdepth。
この『英英辞書で読む一語一語』に慣れていると、
The depth of something such as a hole
くらいならもう問題ないかもしれない。
分析すると
The depth of somethingの時点でもう日本語と順番が違う。
日本語では「穴のような何かの深さ」という訳になり、見事に順序が反対になっている。
The depth of something such as a holeをThatにして、次に進む。
That is the distance
で、「それはその距離のことだ」ということで、順番に読んでもわかりやすい。
そして、この文章はここを核にして成り立っている。
between its top and bottom.
「その距離のことだ。上面から底の間の」
という順番で読む。
distanceの前にtheがあって、topの前にitsがあるので、日本語より効率は悪い。
日本語なら、「それはその上面から底の間の距離のことだ」で済む。
でも結局は、英語のこの順番はいろいろな場面で使える。
「深さ of 何か 穴のような だ その距離 上から底までの」と日本語にすると変な順番。
英語ではいたって普通だ。
The depth of something such as a hole is the distance between its top and bottom.
一週間ほど前から、娘用にオンライン英会話を始めた。
アメリカのネイティブやフィリピンの人々と会話ができるもので、はじめてみると「楽しかった!」と大喜びで、特にフリートークは好きに話せるので大好きになっている。
考えてみれば、5歳から6歳は地元のプリスクールに通っていたので英語を外で使うことは多かったものの、小学校1年では比較的日本語に注力したため、話す相手は私だけ。たまにネイティブの子と遊ぶくらいだった。
吐き出す場所が減っていた。
改めて、ネイティブと淀みなく、いいリズムで会話をする姿を見て感心した。
自分の話したいことだけでなく、たとえば相手の出身の街や国の歴史の話になっても、興味深く聴いている。
そんな姿を見て思ったのが、私と会話しているときの違い。
どうも、私と話すときは言いよどむことが多い気がする。イントネーションも私が気になったりすることがあるけれども、ネイティブと話すときは淀みなく、イントネーションもなぜかネイティブ仕様になる。
つまり、私のせいらしい。
「日本語でもわかる」という気持ちの油断もあるかもしれないし、どうしても日本語になってしまうときもある。
最近はお互いに気をつけてはいるのだけども。
なので、心配事は少し減った。
ネイティブと話しているときは、ほぼ完璧な英語を話している。
相手の言っていることも100%理解していて、たまに講師の発音が悪いときに指摘をしたりしている。
簡単な読み書きのプログラムもあるので、少しずつ取り入れたりもしている。基本はフリートークだ。
001 英語にもスポーツにも共通するもの
文法をどれだけ勉強しても、リスニング能力が上がらないのはなぜなのか。上がらないのがわかっていても、文法ばかりしてしまうのはなぜなのか。
英語はミステリーだらけです。
だからこそ、この謎解きが楽しい。
英語のリスニングが母国語のようにできるようになる秘密は、当然ながらあります。
それは、世間一般に言われているようなものではありません。
英会話教室でも決して教えてくれないようなものです。
じゃあ例えると何なのだと考えると、スポーツです。
バスケットボール、サッカー、相撲、なんでも共通しています。
それらに共通する何かのおかげで、リスニングも簡単になります。
しかも、それを使うと歌も上手くなります。
バイクの運転も上手になります。
ピアノも上手くなります。
あらゆる物事の基本です。
ピアノを弾くとき、指を鍵盤に持っていくとき、何が必要か。
バイクで曲がるときに必要なのは何か。
歌を上手く歌うコツは?
そう考えると見えてくるものがあります。
たとえば、感情を込めて鍵盤を叩きたいとき。
どうしますか?