英語の発音のトーンを理解できる人は少ない。
俳優・女優さんたちに海外作品のオーディション対策として英語の発音コーチをしています。 この …
8才の娘が漢検を受けることになり、12月から今月にかけてみっちり漢字の勉強をした。
といっても、毎日ハードな漢字勉強なんて、親も子も続かない。
ハードにやれば「嫌だー」となるだろうし、無理にやらせるのは気が引ける。
でも、とりあえず2ヶ月は集中した。
日本人、漢字は大事。
そのあいだ、オンラインの英会話などはお休み。
英語の本も読まず、スペル勉強もしない。
もう許容範囲を超えてる。
たしかに、アメリカ人はアメリカの小学校でひたすらスペルをやればいい。
8才なんだから。
日本人は漢字。英語は二の次になる。
当然だ。
英語スペルと漢字の勉強を両立させるのは、想像以上に難しい。
また本読みやスペルもはじめるつもりだけども、簡単じゃない。
英語を教えている中学生と話す機会が多く、「6才ごろまで話せたけど、小学校で全部忘れてしまった」という子が結構いる。
うちの子はどうなるのだろうか。
毎日英語の動画を観てて、話す能力は変わらなそうだ。
でも、読み書き能力は停滞中。
漢字はしっかりやりたい。
このバランスをどう取るのか。
これからも追究は続く。
日常生活で子どもによく使う現在完了は「もう歯磨いた?」 だと思う。 私は以前、 Have …
紅葉のころ。小学校からの帰り道、小学校2年の娘が、公園沿いの紅葉を見て言った。
Now that I think of it, ~
日本語に訳すと、「気づけば、紅葉になったね」みたいなことを言っていた。
私は、「Now that I think of it, は日本語ではどういう感じになる?」と訊ねてみた。
娘は「う〜んと悩んで、『気づいたら』とか、そんなイメージかな」と言っていた。
まっとうに訳すと、「考えてみれば」だけども、ニュアンスとして、「気づいたら綺麗になっていた」という感じだという。
Now that I think of it,は、前の意見に対して、考え直したことを言うときに使う。
「食べたくない。でも考えてみれば、この組み合わせは美味しいかもしれないな」という時。
娘が使ったのは、「今までこの通りは紅葉じゃなかったけど、今気づいたら、すっかり紅葉になっていた」というとき。
なんとなく違うパターンのような気がするけど、あくまで娘はニュアンスで使っている。
Not thatは「〜みると」がしっくりくる。「今、〜してみると、〜だ」で、いろいろ応用ができるのだけど、
Now that I think of it
の「考えてみれば」だと、やはり紅葉のときの会話に合わない。
でも、よく調べてみると、日本語で「そういえば」とも訳せるらしい。
日本語の「そういえば」ってどういう意味だろうと改めて考えると、よくわからない。
「そう言ったとしたら」という日本語はなかなかしっくり来ないし、「今気づいたんだけど」「今思ったんだけど」がまさに「そういえば」だ。
娘が言っていたのは、この「そういえば」のニュアンスかもしれない。
「そういえば」を英語でどう言うかと考えると、
by the way
が一番に出てくるかもしれないけど、「ところで」のほうが使いやすい。
なので、「そういえば」
の意味合いで
Now that I think of it
もぜひ使ってみては?
実際に、文章などを読んですぐに完了と継続の見分けがつくのかどうか。
たとえば、
I have achieved my life’s ambition.
というエッセイの文があったとする。
動作動詞とか状態動詞とかの判別を抜きにして、「自分の人生の目標は(もう)達成した」という訳がしっくりくるので、未完了時制だと判別できる。
He’d had everything.
は、「彼はすべて持っていた」という訳だが、二つの訳があり、一つは「持っている」という状態動詞を使った継続。
「彼は(ずっと、前から)すべて持っていた」というシーンだ。
もう一つは、結果用法を使い、「彼は(そのとき)すべて持っていた」とそのまま訳す。
日本語から現在完了の文を作るのは少々厄介だが、もう少しやってみよう。 現在完了の「完了」の …
英語を聴いていると、大きなチャンクごとに息継ぎやポーズがあることに気づく。
ネイティブはこのタイミングで話したり聞いたりしていて、リズムは大きなチャンクで生まれている部分もある。
大きなチャンクの見分け方は簡単だ。
間があればそれがチャンクとチャンクの間だと考えれば良い。
時に一つのチャンクは長くなる。短いときもある。
長いときはそもそも、そのチャンクの中で英語を理解しなくてはいけないので、大変さは変わらないが、大きなリズムは安心感を与えてくれるだろう。
また、このチャンクの感覚は机の上では身につかないので、とにかく聴くしかない。
たとえば、英語のあるインタビューから大きなチャンクの区切りを見てみよう。
And I just really thought
you know that
that’s something I want to be a part of
if we’re ever able to bring that to the screen
I know how much it meant to me
and how much it meant to so many people
and so I um..
I just feel really grateful
to have been able to take on that role and really um
you know get to share..
「それにほんとうにただ思ったのは、その一員になりたいと思ったこと。もし私たちがそれをスクリーンに映し出すことができたら、私にとって、多くの人々にとってどれだけ意味のあることか。だから私は、本当に感謝しています。あの役を受けられたことを、そして本当に共有することができて…」
英語のItを甘く見ると会話が成立しない。
たとえば、
Consider A + B + that ~
のような文。
Consider A + Bは、「BをAと捉える」という意味だが、Aにitが入る場合、「Bをそれと捉える、考える」という意味になる。
「それ」って何のことだろう? と日本人は語順として考えるが、
Consider it + B + that~
となった場合、that以下がA(it)となる。「Bをthat~と捉える」という訳になるのだ。
そのとき、itは省略されずに残っていたりする。
なので、日本人としては最初に出てきたitは何のことだろう? となってしまうのだ。
でも英語のルールとして、このitは思いっきり無視しなくてはならない。
あくまで形式的な目的語なのだ。
同じように、
Take it to be B that ~
という文もあり、これもitを無視する。内容はconsiderとほぼ同じで、もしitの部分が名詞だったら、that以下はいらない。
that以下は文章になる。
つまり、Aの部分が一つの名詞ではなくて、文になる場合にこの形式的なitになるのだ。
後半に文章のthat以下があるときに、itが省略されずに残っているという「形式主語のit」は、文法の勉強で触れたことはあるはずだけども、それはあくまでテスト対策。
実際の生活でのこのitは、しっかり理解していないと混乱を招く。
takeやconsiderでitのあとにBが来て、thatが来たら、すぐ「that以下をBと捉える」という頭に切り換える。
何度も自分で使って身につけるしかない。
It’s fine.
のときにit’sが訳されないことと、上の目的語のitには共通点があると思う。
訳されないけど、略されない。
そんなitがあるのだ。
Who What How Where When Whyにも例外がある。
たとえば、前に紹介したSlowlyのようなlyがつくものは主語にあとに持ってくることもできる。持って来ても通じる。
あとは、Howにはby carという交通手段も含まれるが、その場合はWhereのあとにHowが来る。
例外はこれくらいだ。
ただし、ここらへんはすでに多くの人が例文などですでに身についていると思う。
ネイティブから聴いた根拠を基にして、正しい発音と正しい語順、正しいイメージプロセスを辿ることで、会話は母国語的になる。
特にプロセスについては、慣れてくるともうすぐに直結するのでまったく問題なくなる。
他の例でも考えてみると
You can do it if you want. (やりたければやっていいよ)
は、Who What Why。
I could fly if I were a bird. (もし鳥だったら飛べるのに)
と日本語と逆になるけれども、これが基本なのであまり崩さないほうがいい。
If I were a bird, I could fly. もよく出てくる例文だが、日本語と同じ順序だから親しみやすいのはわかるけれども、強調になる。
強調したいときにはいい。
Who What Whyでシンプルに考えると、Whoもシンプルであってほしいが、時に英語では長くなる。
Something that I got in London at noon in 2001 couldn’t work in Japan in 2019 for the company because ~.
こういうことが会話でも起こるので、主語の把握は非常に大切な要素だ。
強調になるから倒置には注意と書いたが、それはあくまでノーマルポジションの理解をしてほしいからであって、駄目なわけではない。
最近、本屋に並んでいる『一度読んだら絶対に忘れない英文法の教科書』を拝見しました。
英語を一から考え直すという意味で共感の持てるものでした。
ただ一点、現在完了に関して間違った捉え方をしていたので、改めて現在完了について述べたいと思います。
著者は、ニュース番組で「have crashed」という言葉が使われていたら、今も続いているというニュアンスがあるため、「衝突し、今も炎上中」という捉え方を視聴者はすると書いていました。
なので、訳で「衝突しました」は間違いだと書かれています。
しかし、ニュース番組の場合、「衝突しました」という訳は、間違いではありません。
ニュースで使われる現在完了は、「完了」中の「完了」で、「しました」の訳がぴったり来ます。
通常、ニュースは本日中のものを語ることが多いので、その場合に現在完了を使うときがあるのです。
しかし、それは「今日、○○が○○しました」という意味で、今の時間まで行為が継続していません。
これは、現在完了を大きく捉えた「Finished(完了)」という枠の中の、さらに「完了」という使い方で、基本的にはニュースで使われるものです。
著者の方は、現在完了の継続とそれを混同していて、「線時制」という説明をしていますが、これも間違いです。
現在完了にはさまざまな種類があり、たまたまhave+過去分詞という形をしているものを現在完了としてまとめているだけで、時制の共通点はありません。
たとえば、大きなFinishedで囲まれるものには、「経験」「完了」「未完了時制」といったものがあり、「経験」は感覚的にも「いつ」を意識しません。
「したことがある」という感覚です。
これは日本語でも同じで、「過去の時点のいつ」を意識しない言い方です。
動作は終わっていて、今に繋がっていません。
唯一、今に繋がっていることがあるとするならば、話し手が生きているというだけです。
未完了時制は、「ここ3年間で5回はスキーに行っている」「今日は3回コーヒー飲んだ」という今を含む時間の中で動作を1回でも数回でもしたかどうかを言っているもので、これも「いつ」を意識しません。
また、動作は今に続いていません。完了しています。
なので、線時制という考え方にも当てはまりません。
一方、線時制という考え方があるとするならば、現在完了を大きくUnfinishedに分類される、「結果」「継続」です。
これは動作もしくは状態が現在に繋がっているという意味で、線になっています。
ただ、強調したいのは、いずれも「いつ」を意識しないということです。
これが現在完了の特長です。
偉そうに現在完了を語っている私も、最初は「している」という状態が現在完了なのではないかと思っていました。
しかし、「状態」というのは現在完了だけでなく、現在形の状態動詞でも作れるもので、現在完了だけのものではなく、現在完了の継続の話でした。
また、この継続でも、意識は「いつ始まったかは覚えてないけど、それから一定期間続いていた」という時期を意識しているので、日本語訳は過去形になります。ですが、その状態は今も続いているということです。
このように、現在完了は「いつ」を意識しないという特長はあるけれども、一括りにすると問題があるということをぜひ認識して、それぞれが別の用法だと思ったほうがいいです。
ただし、日本人がやるような「完了」「経験」「継続」「結果」の4つに分けるのも危険です。
分けるなら、「完了」と「未完了」で、「完了」の中に今回お話しした「完了」「未完了時制」「経験」があり、「未完了」に「継続」「結果」(※結果は両方のニュアンスを含んでいる)があると考えるのが正しいです。
実際に英会話で使うときには、それぞれ違うシチュエーションで、違う気持ちで使うでしょう。
根拠(basis)を実際の会話から得ると、2つの大きな要素を掴むことになる。
ひとつは、英単語の音と、イメージ(動機、感情、物の画像など)が直接結びつくこと。
もうひとつは、英語の語順だ。
どの世界の言葉も、基本構造はこの二つで成り立っている。
たとえば、言語はそれぞれ、音が違う。物や動詞などのイメージや意味は、それぞれの言語の音と直接結びついている。
だから、言語を学ぶときには必ず覚えなくてはならない。
次に、語順のルールが違う。語圏で分けられるときに共通点はあるが、日本語と英語で考えると大きく違う。
だがルールはシンプルで、直感的だ。だから、言語のシンプルなルールを根拠にして覚えることで、話せるようになる。
シンプルな例で示してみよう。
目の前に黒い物体がある。クルマでも服でもなんでもいい。日本語で考えると、「それは黒だ」となる。
英語では
It’s black.
物について、「○○だ」と言いたいと思うことは世界中の誰にでもある。
英語においては、It’sのあとに言えばいい。
誰でも知っていることだけども、それが語順だ。
母国語として話すときには、it’sのあとに黒のイメージを頭に思い浮かべる。そのイメージとblackという音が結びついて、口に出す。
それを瞬時にやれるのが母国語だが、プロセスとしてはそうで、it’sのあとに黒という日本語を思い出して、黒という音からblackを導き出してはいけない。黒のイメージを頭に浮かべたとき、それは話したい、伝えたい、言いたいという動機があり、イメージがある。
ここではそれを感情とまとめているが、そういうものがまず必要となる。
もしテレパシーが使えれば、blackと口に出す必要もない。イメージを相手に送ればいいのだ。そうやって会話は成り立つ。
でも実際はできないから、そのイメージをblackという音に置き換える。それで本当に成立する。
音は、イメージを伝えるための記号のようなものだ。
そう考えると、動機がある時点でイメージがあり、違う言語を話す人たちが集まったとしても、共有できるものがある。
あるYoutubeでhave livedの使い方について、日本人の方とネイティブの方が議論していたが、ネイティブの方も話していてよくわからなくなるほど、英語や現在完了の「答え」は少し遠くにある。
でも、文法をしっかり勉強しているネイティブの人にとっては楽勝で、そういったネイティブの人たちが英語でいろいろとネット上に情報を残してくれているので、日本人としては本当に助かる。
ただ、感覚的に英語は使いたいのだから、あくまで感覚の話にしたい。
その感覚として使いたいのが、時制だ。
文法的な響きのある「時制」だけども、時制も感覚的なのだ。
たとえば、
「今、○○している」
というときに、「今」に込める感情。
それは、文字通り「今です!」という気持ちだ。
一方で、「3週間くらいしています」という時は、「3週間です!」という気持ちを込めている。
「今」とは明らかに違う。
「したことがあります」というときは、「いつかは覚えていないけど、1回か2回あります」という気分で話す。
この3つの違い、3つの気持ちの違いを使って話せば、過去形や現在完了を使い分けることができるのだ。
Youtubeで議論になっていた、
I’m living in Tokyo.
は、「今、」「今は」という気持ちのときに使う。
このnowがある限り、現在進行形のI’m liviningを使おうと思えばいい。
時が明確なときとも言える。
では、「3年間住んでいます」と言いたいとき。つまり、期間を言いたい気分のとき。
それは、
I live in Tokyo for three years.
もしくは
I’ve lived in Tokyo for three years.
で、これはどちらも「ずっと」という気分が入っている。期間の気分が入っている。
「住んだことがある」といいたい気分のとき。つまり、「いつ」は明確ではない経験のとき。
それは
I’ve (ever) lived in Tokyo.
これに期間を入れたりすると、文法的にはややこしくなる。
たとえば、「住んでいた」という過去形にすると、
I lived in Tokyo.
だけども、
I lived in Tokyo for three years. は継続的な意味合いでの「3年間住んでいた」という意味。
進行形なら
I was living in Tokyo when I was 19.
※時を明確にしているとき
ということで、それぞれ過去の意味合いになったが、
I’ve lived in Tokyo for three years. だと、今も住んでいることになり、過去のことにはならない。
しっかり単体で使わないと、経験の意味にならないのだ。
Youtubeでは「I’ve lived in Tokyo for three years. 」でもいいのではないかという意見が出てネイティブは困惑していたが、これはそのためだ。日本人の人は、経験用法を過去の出来事の表現として使おうとしている。そのため、「経験+期間」でもいいじゃないかと言っているが、英語は時制のニュアンスで話すので、それだと不自然になる。
経験を過去の話として捉えたり、使おうとしたりするのも違う。
経験はあくまで、「したことがある」というニュアンスだ。
どんなときも、過去形を使うときは、時が明確なとき。
明確じゃないときは現在完了。
文法的には、liveは「住む」というアクティブなニュアンスのある動作動詞として、
I’m living in Tokyo. を使う。
I live in Tokyo. は「住んでいる」という状態をあらわす動詞で、これに「ずっと」のニュアンスをもっと付け加えたくなると、
I’ve lived in Tokyo for three years.
となる。
そういうニュアンス、気分の使い分けもして使ってみたい。
学校で最初に現在完了を習うときに、「この時制ならこう」という法則を習っているはず。
それがまったくもって正しいのだ。
文法的にしか聞こえない法則だけども、それをニュアンスとして感覚的に使うのが母国語。
時に文法は正しすぎるほど正しく、感覚的なのだ。