指を”くいっ”
娘とソファに二人で座り、マインクラフトをやっていた。冗談で、「市長が橋の建設を頼んでいる。 …
私自身、日本人の英語学習者として、ネイティブを前に聴きとれていないのに聴きとれているフリを何度してきたことか。
それが嫌で、自分のペースで話すことが多かった。聞き役にまわりたくないからだ。
有り難いことに、今はフンフンと自分があまり話さずに聞き役にまわることができるようになった。
前は、その「聴きとれているフリ」という現実に目を向けることなく、逃げていたように思う。
「いつか聴きとれる」と願い、英語の勉強を続けていたのだ。
だが、本を読んで記憶するような英語勉強方法で、それが克服されることは、本当の1ミリもなかった。
これは経験上の話で、私の場合は、完全にそうだった。
文法の理解も深まり、ビジネスで外国とメールを頻繁にし、国際電話で取材を毎日のようにしてもだ。
いろんなことも考えた。「話せるようになったら、自然と聴きとれるのではないか」
「単語をいっぱい覚えたら、きっと聴きとれるようになる」
どれも、まったくの間違いだった。リスニングから逃げていただけだったのだ。
英語を学習すればするほど、スペルによってどう発音するのかという知識も増える。
相手の英語が聴き取れると、頭の中ですぐにスペルに置き換えてしまう。
すると、「そのスペルによってこう発音する」という知識を使った発音に微妙に置き換えてしまうのだ。
たとえば英語の教室で、なぜか発音があまり良くない子がいたりする。
その場合、日本人の親がスペルを教えている可能性が高い。余計な知識が入り、スペルから自分の解釈によって発音し、目の前にいるネイティブの音を素直に聞き取れないのだ。
だから私は、6歳までの子にスペルや読み書きをやるのはあまりオススメしていない。が、経験上、ほとんどの日本人の親は、スマホのアプリや教材でABCからやり、Appleのスペルを教えてしまう。
相手の音をそのまま真似し、意味がわからなくてもリフレイン、もしくは発音するという行動をしてみると、子どもになったような気分になる。それが楽しくもあるし、不思議でもある。「英語(外国語)って、こんなにシンプルなのか」と思う瞬間だ。
「聴きとれたかどうか」ではなく、音そのものを出発点として、その次に意味を付加していくという …
日本人であれば、「テーボー」という音を聴いて、これは「table」だなと理解する。
次に、「table」は「机」だと考えるか、そのまま机のイメージを頭に浮かべる。
そこからさらに文法の解釈をして日本語にしていく。
それが母国語の場合は、「テーボー」という音を聴いて、終わりだ。
人によっては、スペルも思い浮かべない。
娘は多少読めるけども、もともと小さいころは読めなかったわけだから、思い浮かべることはできない。
読み書きができない人でも話すことはできる。
その「テーボー」という音から机のイメージが直結するので、「その音は机だな」という理解するプロセスもほとんどない。
日本人は「table」と机という二つのイメージが離れていて、それを結びつけるという感じだが、英語の母国語の場合は、音そのものとイメージが最初からくっついているので、結びつける必要がない。
このスピード感が、母国語と第二外国語に差をつける。
英語のネイティブの子息が集めるプレスクールでは、子どもたちは先生の言った音をそのまま真似して話す。
0歳、1歳の子どもが英語を習得する過程を辿るために、母国語イングリッシュ習得法というカテゴリの他に、リスニングカテゴリを作ってみたい。
なぜかというと、勉強したり、学んだりすればするほど、この母国語的リスニングから遠ざかる可能性があるので、毎週のように自分に言い聞かせる必要があるからだ。何度言っても物足りない。それが母国語リスニング。
日本人として英語を学び、「使える英語」にするには、聴き取り能力だけで十分だとも言える。
話せるようになっても、聴き取れなければ会話は成立しない。
ネイティブの速い英語、ニュース、映画という英語のスピードと、学習時のゆったりとした英語はまったく違うもので、いくら学校でトレーニングしても、実際にニュースが聴き取れなかったり、ネイティブの速い英語についていけなかったりする。
それでは意味がない。
逆に、速い英語にも対応できるのであれば、こちらの話がつたなくても、聞き役になればいいだけだ。
ニュースも映画も聴き取れれば、それほど楽しいことはない。
ネイティブと同じリスニング能力を身につけるには、母国語を習得するプロセスを辿らなくてはならないし、第二言語として英語を学んだ日本人には、リスニング時に「訳してしまう」という非常に困難な問題がある。
本来は、音をそのまま聴き、単語の意味や文を理解しようとする動作はあまり必要ない。
6歳になる娘は、ネイティブを前にしてもリスニング能力にまったく問題がない。速い大人の英語による動画でも問題がない。
そこに私とまったく差があり、不思議すぎるために、「母国語としてのリスニングとは何なのか」を探究している。
先日、はじめて「どうやって英語を聴いているのか」とたずねてみた。
今まで一度も訊いたことがない。すると、
「ジョージがモアといって、お母さんが牛乳をくれたら、モアがそういう意味かとわかる」(以下、実際は英語で)
と、私が自分の本に書いてあるようなことを言っていた。
今まで一度もそういうディスカッションをしたり、誘導したことはない。
「意味がわからなくても、音は正確に聞き取っているの?」
との問いには、「ときどきはそうで、ときどきは違う」らしい。
また、
「気にすることはない。だって聞くのを楽しんでいるし、「未来」を知りたいから」
未来って何? と思ったが、未来らしい。その先を知りたいという意味かもしれない。
「相手の感情も含めて聞いているかどうか」という質問には「so so」。質問がちょっと難しすぎた。
いずれにせよ、まだ「読書が好き」というレベルではなく、本から文字を覚えることもない娘が、大人のスピーディな会話を理解し、実際にネイティブスピーカーとペラペラ話しているのは、リスニングからだ。リーディングではない。
英語の歌をすぐ覚えて歌えるようになるのも、日本人である私の脳回路とまったく違う。
ここらへんに、必ず世界の言語習得の秘密があると確信している。
そして、その秘密もほぼ解き終えている。
すべてはリスニングだ。リスニングの方法を変えれば、母国語的言語習得は達成される。ここを飛び越えて、スピーキングに行っても実践力はないのだ…。
私がゲームをしていて、それを見ていた娘が言った。
You ain’t good.
私は、
Did you say “ain’t” now?
ときくと、そうだと言って笑う。
どこで覚えたの? と訊ねると、アニメのタイタンズで、その場合は、
You ain’t good, yo!
と言っていたらしい。
am not も are notもどっちもain’t で便利だよねと言うと、
Yeah~~と言っていた。
「古い言い方なんでしょ?」と訊いてきたので、
「いや、古いというよりカジュアルだね」と言ったら、ほほーと感心していた。
私が中学生のときに発売されたボンジョビの『ニュージャージー』というアルバムの何かの歌詞に、ain’tという表現が出てきたような気がする。(このあとネット検索をすると、まったく同じことを言っている人がいたので間違いない)
そのときは調べると「ニュージャージー付近で使われる言葉」と書いてあったような気がしたが、すべて曖昧な記憶。ボンジョビのアルバムタイトルのせいでごちゃごちゃになったのかもしれない。
私は日本人の英語学習者として、子どもに「正しい」英語を話さなくてはならない身として、一度もain’tを娘に対して使っていない。
でも娘が使い出したんだから、もういいか。
MEMO
is not もhave notもain’tになる。
あるアメリカ人男性Youtuberが面白可笑しく世の中について説明するという動画があり、大陸について説明する動画を娘が2年ほど前に気に入ってよく見ていた。
最近、またそれを観たいというので探して見始めると、腹を抱えて笑い出した。
ほんとうに笑いがこらえられないほど、面白いらしい。
世界地図がアニメーションになり、それぞれの大陸が何か話しているという動画だが、私にはさっぱりその面白さがわからない。
アフリカが「ナーッフリカー」という感じで叫ぶところは「どういう意味なのか」ということを考えてしまって、笑えない。
だが、娘はゲラゲラ笑って、「アフリカの歌って面白い」と言っている。
北アメリカ大陸と南アメリカ大陸はそれぞれ、何か言っている。
それも意味がわからないので、なんて言ってるの? と娘に訊くと、
「トップバンク」と「ボトムバンク」だと言う。
意味は、アップステアズとダウンステアズみたいなもの。
と言われた。
辞書で調べると、ノースバンクとサウスバンクなら北岸と南岸だという。
トップバンクもボトムバンクも同じような意味だと思うが、実際にアメリカ大陸の北と南を、そう呼ぶこともあるのか、それともこの動画の中だけで言っているのか、そんなことを考えるとやはり笑えない。
だが、娘はそこでも爆笑している。
素直に笑えないのは、大人で、第二外国語として英語を捉えているからなのか。
どうしてこんなに笑えるのだろうと、やっぱり不思議な気分になるのだった。
最後に「アフリカの歌の意味って何?」と訊くと、
I told you that was African song.
とのことだった。
そこにドアがあり、開いている。イメージで、「しめなきゃ」という発想が浮かぶ。この時点で言葉になっている人もいる。
もしそこで、言葉として口にする場合、日本語だと、「あのドアを」「しめ」「なきゃ」となる。
英語だと、I gotta close the door. だ。
実際に、そこでI gottaの部分をI have toにしようかどうかと、迷ったり考えたりせず、瞬時に決まっている。
だが、一応選択はできる。
I のあとに、have to を選択してもいいのだ。「ドアをしめなきゃ」という欲望やイメージ、言いたいことは決まっていて、それに伴って、選択がある。
だからこれくらい短い文だと、I gotta close the door. と一気に言うし、closeの前で迷ったり選択したりもしないだろう。
それはネイティブは慣れに慣れているからで、小さい子どもからそうだったわけではない。
一語一語がなんなのかと説明をするとSVの話になるが、もっと感覚的に捉えてみると、「今の言葉と、次の言葉」という繋がりでしかない。
Do you want this?
という言い方があるとして、どうしてDoのあとにYouなのかと考えるのが中学生で教わる英語だが、母国語として感覚的に学ぶ英語はそうではない。
何を基にするかというと、経験だ。
母親が、Doという音のあとに、youという音を繋げた。その経験だ。
誰かが言っていた。そして、自分も言った。そういう経験を基に、Doの次にyouと言っている。
中学生になった友人の娘が、DoなのかDoesなのか、wasなのかwereなのかで混乱し、英語が嫌いになったという。
リズムが合うというのは、一緒に話しているのと同じなので、途中に訳したり考えたりする暇はない。
真似するように一緒に話しているのだから、他のことは考えられない。
訳さずにただ相手の言っていることを真似するように話して、その英語である言葉を受け入れて、意味が理解できるのかどうか不安になるはずだが、母国語としては間違いなくそれでいい。
ポイントとして、ストレス部分、つまり単語の山となる部分が大事だというのは非常に大事な部分だが、言葉の最後の部分も密かに大事であることは明記したい。
リンキングして繋がった場合は別だが、繋がらない場合に、最後が子音で終わることが多い。
文の最初に大きな息吐きがあると、残りの部分は息を吐きながら発音するので、文の最後まで弱い発音になる。
表
真似するように聴く→感情の部分を真似する→ミラーニューロンへの刺激
→意味に惑わされず、音を素直に聴ける→音から覚える→感情を表現するストレス、アクセントから覚える
母国語を覚える「方法」として提案する「話すように聴く」。極論としてこれだけしていればいいということだが、この「真似」という部分が、言葉の意味ではなくて「感情を真似する」ということだ。相手が話す音を、そのまま自分で、心の中で話すように真似をする。言葉を出すと聞けなくなるから、黙って聴く。これがポイントだ。
感情を真似することで、意味に惑わされず、訳さずに英語をありのままに聴くことができる。
また、感情を使うことでもうひとつメリットがある。感情を表現するためのストレス(溜め)、アクセントを中心に聴くことができるからだ。これは話すときに感情表現できるだけでなく、話しやすくなる、覚えやすくなるという利点がある。