カタカナ英語 004 ダーダダダー
世界中のどの話し言葉も、音と棒線の連続だ。 音を伸ばすことで言語は成り立っているが、それは …
娘が歯磨きに行くのに、「洗面台に誰もいない!」といって嫌がるので、「ママがいるってば」と日本語で言った。
すぐに、「『ってば』って英語で言わないな」と思った。
そもそも、「ってば」ってどういう意味で、どういう使い方をするのか、日本語でもよくわかっていない。
「ってば」を使うときの例を考えてみた。
「さっき言ったってば」
この場合、相手が「○○はどこなのって聞いてるでしょ?」と少し怒って言ってきた場合の返答になる。
日本人としては「ってば」に入れる感情はきっと共通していて、別の言葉に置き換えると、「言ったよっ!」という感じになる。と思う。
「ってば!」
この微妙なニュアンスはやっぱり解説が難しい。ちなみに沖縄では「てばよ」とよく言う。北海道だと「言ったっしょや」とも言う。
「ば」をとって、「言ったって」で終わっても意味は同じだ。
基本的には、お互いに少し不満があるような状況で使われるようだ。
感情が高ぶってるときは、「言ったってば」の「ば」を強調したりする。
「ってば」でネット検索しても、適切な英訳は出てこない。
I told you!
で、「言ったってば」にもなるよ、と言われてしまう。
たしかにそうかもしれないし、強調を加えるというなら、
正月休み、娘が小さいころの映像をスマホでいろいろ観ていた。
どれも久しぶりで、しばらく観ていなかったものだが、3歳、4歳ごろの映像を観て驚いた。
発音が今とだいぶ違う。
しかも、残念なことに、今より、ネイティブに近いと感じてしまった。
そんなときは、多少ショックを感じる。
娘の成長を感じていただけに、なぜ? となる。
今、6歳の娘は当然ながら、3歳、4歳のころより語彙は増え、経験も増え、読み書きもできるようになった。映画もアナ雪2は英語で楽しみ、何の問題もないように見える。
だが、そうではなかった。
今までこのブログでも書いていた小さな問題が、少しずつ大きくなっていたのだ。
それは、発音の日本語化。
日常生活で日本語力はどんどん伸び、家でも家族三人では日本語になる。頭の中は英語らしいが、日常のささいな行動に対する言葉は英語から日本語に完全にシフトしていた。
英語は、対自分用なだけだ。
それでも、英語を話すという目的はすでに達しているのでいいと思っていたが、日本語が得意になるにつれ、英語の発音が日本語化しているのだと、昔の映像を観て気づいた。
2歳、3歳のころの英語は、つたないながら、発音は本物だ。今聴くと、どこにもツッコミどころがない。Rの発音はできているとまで言えないが、子どもなりにナチュラルなRになっている。
今の娘の発音を再確認してみると、ペラペラと英語を話すのだが、発音がフラットなのだ。これは日本語の影響で、口をあまり動かさない。また、アクセントと息を吐いて伸ばすという動作も少ない。
何度か娘に指摘してきたのだが、中途半端だったので達成できていない。
Rの発音も再確認してみると、やはりできていない。
小さいころの発音は、つたないだけに、ゆっくりと話す。言葉をはっきり、ゆっくり話すことで、日本語からすると大げさな、抑揚のある発音になる。
クリアで、伸ばすところは伸ばし、口の動きも大きい。
たしかにネイティブも大人になると子どものころよりフラット化するのだが、締めるところは締める。
その映像を観た翌日の朝、少しだけ特訓をしてみた。
ポイントは、
クリアに話す。
口を大きく動かす。
アクセント、ストレス部分の手前はしっかりためて、しっかり息を吐き出す。
Rの発音をしっかりする。
という点だ。
しばらくやってみるしかない。
「聴きとれたかどうか」ではなく、音そのものを出発点として、その次に意味を付加していくというアイディアを理解した上で、日本人英語学習者に実践してほしいリスニング方法が、「話すように、真似するように聴く」だ。
リズムだけを捉える=話すように聴く
リズムだけを捉える=真似するように聴く
とも言える。「自分が話すように聴く」というのは、相手の感情や気持ちに共感しながら聴くということでもあり、それによってリズムが合う。また、声に出さなくてもそれがスピーキングにもなっている。
「感情を込める」には、共感神経を刺激するという側面も非常に大きいが、ストレス(アクセント)を見つけるという部分も大きい。
ストレスに力を込める具合によって感情を表現するので、相手の感情ごと聴くというのは、ストレスを聴くということでもあるのだ。
だが、そこであえてストレスということにもこだわらずに、肩の力を抜いて英語を聴いてみてほしい。
相手の話すリズムや抑揚だけを聴くのだ。そこにはストレスも含まれている。
文全体の感情的な動きだけを追い、真似をする。
このやり方がいまいち理解できなかったら、まったく勉強をしていない外国語でやってみるといい。
たとえばスペイン語で、
ブエナスタルディス(こんにちわ)
と聞こえた音には抑揚があるが、ただそれを聴く。実際の音であるブエナスタルディスよりが聴きとれなくてもいいという気持ちで聴く。最初はダダという音にかえると、
リスニングをしていて、「勉強していたあの言葉が聴き取れた!」と思うときは嬉しい。
もっともっと勉強して、単語を覚えて、聴きとれる数を増やしたい。
しかし、そうやって覚えた単語は、たいてい、スペルに対する自分の発音方法に置き換えている。
さらに、速い英語になるとついていけない。訳しながら聴くというのは非常に難しいし、母国語的な理解とは違うプロセスを辿っている。
もし、子どもがやるように、普通に聴きながら自然と英語が体に入っていったら、どんなに楽だろう。
その秘密の鍵を探っていくと、シンプルな答えに辿りつく。
今ここでそれを言っても、誰も信じないけども、まずは書いてみる。
娘が小さいころは、おもちゃが壊れると
It’s not working anymore.
という言い方をしたが、それは電池で動くようなおもちゃに対して使う言葉だった。
最近はおもちゃ以外のものも含めて「それ壊れてるね」となると、
It’s broken.
と言う。
家ではたいていそんなものだが、何かの動力装置があるもので、回るようなものの場合は違う。エンジン、エレベーター、扇風機、洗濯機、ビデオテープなど、エンジンやモーターのあるものだ。
つまり、回っているもの(running)が消耗して壊れるようなイメージ、日本語でいうと「故障」だが、これは
I gotta, I have to, I must, I need, I wanna, I will といった言葉が出るときは、心の中で感情が出て、先にまず選択される。
空を見て、
I wanna …
fly.
という順序だ。実際にはI wanna fly. と一気に言うし、最初から一文が決まっているようだが、「飛びたい」という気持ちがありながら、
I wanna のあとの言葉をかえてもいい。I wanna be a superhero. でもいいのだ。
日本語にはない、I have to, I must, I need、I’m gonnaなどを先に選ぶ感覚は、とにかく日本人にない。
どうすればいいのか。
意味ではなく、感情だけで音を聴いていくということを繰り返すと、音と音の繋がりも捉えられるようになる。
だが、そもそもDoのあとにsheが来ない感覚は、すでに日本人の英語学習者の多くが持っているが、その感覚を使わないことが多い。
Do you want this? という一文を暗記もしくは、話す前に準備してから話すから、Doのあとに何を言うか決めていないという母国語的な話し方をしたことがないのだ。
日本語で試すと、「今日(きょう)は」と口にすると、次に何を言うか、自然と口が開こうとする。
どんな言葉が出てくるだろうか。
「忙しくなる」とか、「暑い」、「いい日だな」といったところだろう。
では、「今日は」と言ってから、そのあとにあり得ない表現、言葉を選択しようとしてみてほしい。
なかなか出てこないはずだ。
たとえばだが、「作ってみます」「知られざる」とか、いくらでも合わない言葉はある。
それでも、「今日は」と言ったあとは、使ったことのある言葉しか出てこない。
英語でも、その経験値があれば同じことが起きる。
ある日の夜。最近娘がハマっているアニメの英語が速いので、妻が「全部聴きとれてるの?」と娘に訊いた。
娘は「うん」と答えたので、「じゃあなんて言ってるか教えて」ということで、アニメを再生しながら、文を言おうとするとなかなか言えない。
タブレットは巻き戻しが難しいし、「聴きとれなかったら次のでいい」と伝えても、ごちゃごちゃやっていてなかなか言えない。
妻が「難しかったね。ごめんね」となり、その場は終わった。
いつもなら真似したり、訊いたらすぐ答えるのに出来なかった。
私は、「もしかして聴きとれてないの?」と意地悪な質問をした。
「聴きとれてたり、聴きとれてなかったり…」みたいなことを娘は言う。
聴きとれて無くても、そこから推測で言葉を覚えていくから、それはいい。
でも、半分もわかってないなら、ただ絵を見ているようなものだ。
「もし50パーセントだったら、80パーセントのものを観たほうがいんじゃない?」
と提案すると、悲しそうにイエスと言った。
そのアニメはギャグもので、あまり上品ではないから、前から「そればっかり観るのは駄目」と伝えていたのもあり、私の意地悪な気持ちが働いたのかもしれない。俺が真面目なものばかりみせて、ユーモアのセンスがなくなるのも問題だと思っていて、正直、親としてはよくわからないのだ。
「じゃあ80パーセントのものはなんだろう?」となり、娘は「フィクシーズ!」というので、一緒に観ながら、登場人物の台詞を繰り返した。ほぼ100パーセントだ。
相変わらず、歌の聴き取りも得意で、そのギャグアニメの歌もすぐに覚えてすらすら歌う。ギャグアニメはスラング的な表現も多く、ネイティブだとしても6歳の娘には少し早いはず。
Youtuberの動画でも、二人の登場人物のうち、女性のが聴き取りづらいという。
かといって、今まで観ていたいろいろなものに少し飽きてきているのかもしれない。